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サッカー消えた天才の明暗「アルコール依存と闘う」問題児MF、“練習サボりがちパサー”と“母思いの走らない司令塔”は今、意外な職に 

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photograph byTamon Matsuzono(L),Getty Images

posted2024/06/01 11:06

サッカー消えた天才の明暗「アルコール依存と闘う」問題児MF、“練習サボりがちパサー”と“母思いの走らない司令塔”は今、意外な職に<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono(L),Getty Images

リケルメ、ガスコイン、デラペーニャ。フットボール強豪国が生んだ天才パサーは今、どんな道を歩んでいるのか

 15歳でバルサの下部組織に入ったデラペーニャは、当時の監督ヨハン・クライフに17歳で見いだされてトップチームでデビューを飾る。

 そんな彼が脚光を浴びたのは1996-97シーズン。ボビー・ロブソン監督の下でロナウドと近いポジションを取ることでパサーとしての才能が開花し、チームにスペイン国王杯、UEFAカップウィナーズカップ(ELの前身)、UEFAスーパーカップをもたらした。

“サボり癖”のある天才は、中村俊輔を愛し…

 いわばリオネル・メッシにおけるアンドレス・イニエスタのような関係になり得たかもしれないデラペーニャだったが……バルサの司令塔の座を確保することはできず、流浪のサッカー人生を送ることになった。その理由はズバリ、1つである。

「シーズン中も練習はほとんどしない」

 いわゆる“サボり癖”がある天才肌だった。

 ただし、デラペーニャはただただ孤高なタイプではなかった。それが分かるのはエスパニョール時代、当時日本代表MFの中村俊輔がチームに加わった時のことだった。

 中村はレッジーナに在籍した経験があるため、イタリア語が理解できる。そのことを知ったデラペーニャは、セリエAのラツィオでプレー経験があるゆえ、練習でも試合でも中村と会話を交わし、お気に入りのレストランに食事にも誘うことがあったという。デラペーニャの自身初となる国外クラブとなるラツィオでのプレーは1シーズンだけで終わっていたが……加入直後の中村もデラペーニャに関してこんな印象を語っていた。

「日本代表でのヤット(遠藤保仁)との関係みたい。やりやすいし、できるだけ近くでプレーしたい」

 その後、2011年に引退したデラペーニャは現在、代理人業に身を置いている。バルサの新世代を背負って立つガビ、ヤマルを受け持つなど、古巣に対しての影響力は今も有している。

“口下手で動かない司令塔”リケルメの素顔

<名言3>
可能なかぎり母を看病し、彼女の支えになることがボクの責任だ。
(フアン・ロマン・リケルメ/NumberWeb 2007年2月27日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/13155

◇解説◇
 現代サッカーはここ20年でアスリート的要素のプレー強度とスプリントが求められ、職人気質な司令塔タイプが“絶滅危惧種”となっている。最後の司令塔の系譜にいたのは、元アルゼンチン代表MFリケルメといってもいいかもしれない。

【次ページ】 “戦犯”扱いに心痛めて病床にあった母親を…

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