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「スズメが飛ぶだけで…臆病だ」90年代唯一の三冠馬ナリタブライアンはなぜ“普通の馬”扱いされたか「兄ビワハヤヒデよ、そんなに走らないで」 

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鈴木学

鈴木学Manabu Suzuki

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2024/06/01 11:00

「スズメが飛ぶだけで…臆病だ」90年代唯一の三冠馬ナリタブライアンはなぜ“普通の馬”扱いされたか「兄ビワハヤヒデよ、そんなに走らないで」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

1990年代唯一の三冠馬ナリタブライアン。「シャドーロールの怪物」と呼ばれる前の知られざるエピソードとは

 調教師の大久保正陽は当時、のちに宝塚記念と有馬記念を勝つメジロパーマーを預かっており、それ以前には“三冠馬ミスターシービーのライバル”と呼ばれたメジロモンスニーや、中山大障害(春)を勝ったメジログッテンなどメジロブランドの競走馬を預かっていたので、村田が厩舎に入ったのも自然の流れだったのかもしれない。

 一心亭での食事の際にナリタブライアンの話に水を向けたのはもちろん、僕だった。すると村田光雄は、前のめりになって担当馬を絶賛し始めたのだった。

 温厚で真面目な性格。人と話す時は笑みを絶やさない。だが、その端たん正せいな顔に似合わず、心のなかにしっかりとした芯を持ち、根は頑固。そんな印象を村田に持っていた。

兄ビワハヤヒデが皐月賞とダービー2着の中で…

 村田の話に脚色や誇張はない。彼の性格や表情から、それは明白だった。「兄のビワハヤヒデが皐月賞とダービーで2着だよ」僕がそう言うと、村田はこともなげにこう返してきた。

「他の厩舎の馬とは比べられないけど、ナリタブライアンは凄い馬だよ」

 出世した時に使えるエピソードをもらった。僕は心の内で喜んでいた。

 村田光雄がナリタブライアンと初めて対面したのは、その年の5月11日。栗東トレセンの検疫所に、早田牧場から到着して検疫を終えたナリタブライアンを大久保正陽厩舎へ連れていくため迎えにいった時だった。

「コロッとした馬だな。兄が走る馬だから、凄い馬が入ってきたのかも」

 その思いはナリタブライアンに跨るたびに強くなった。

「君の一生で二度と出会えないくらいの馬になるかもしれないよ」

 夏に早田牧場新冠支場を訪ねた際に、場長の宮下了から掛けられた言葉も、現実のものとしてじわじわと大きくなってくるのを感じていた。

「そんなプレッシャーをかけないでください」

 宮下に笑顔で言い返したが、双肩にかかる重圧は大きくなっていった。

ビワハヤヒデと比べるのがかわいそうですよ

 だが、快進撃を始めるまでのナリタブライアンについての報道は、ビワハヤヒデの弟としてそれなりではあったが、意外とあっさりしたものだったと記憶している。

 デビュー前の初追い切りで騎乗した南井克巳がコメントをほとんど残さなかったこともあるが、最大の要因は陣営がナリタブライアンを「普通の馬」と言い続けていたことにある。「白鳥」だとわかっていながら、「アヒルの子」であると流布していたのである。

 大久保正陽の長男で調教助手を務める大久保雅稔は、取材陣にこう言い続けていた。

【次ページ】 ビワハヤヒデ、そんなに走らないでくれ

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