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ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
「オレは死なないから絶対にタオルは入れるな」“炎の男”輪島功一の闘志はなぜ衰えなかったのか? 執念の世界王座奪還で日本中を熱狂させた日
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byKYODO
posted2024/04/06 17:05
1976年2月17日、8カ月前に敗れた柳済斗にリベンジを果たし、世界王者に返り咲いた輪島功一。こうして“炎の男”は伝説になった
マスクをつけて咳き込み…記者会見での“揺さぶり”
再戦は8カ月後、日大講堂で組まれた。ここで輪島さんは一計を案じる。試合前の記者会見にマスクをして登場、「ゴホッ、ゴホッ」と体調不良を演じたのだ。
「柳は強かったからね。これは何かやらなきゃと思ったんだ。それでマスクをつけた。普通はたとえ本当に風邪を引いていても、試合前にマスクなんて絶対につけない。相手に弱みを見せることになるからさ。その逆を突いたわけだ。そう、ごまかし合いだよ。みんなの仕事だってそうだろ。たかがボクシング、されどボクシングだ。煮詰めていくとそういうことになるんだよ」
柳陣営がすっかりだまされた訳でもないだろう。それでも輪島さんの“先制攻撃”にはなにがしかの意味があった。試合は輪島さんが最終15回に右カウンターを決めてダウンを奪い、劇的なKO勝ち。またしても一度負けた相手にリベンジし、“炎の男”輪島伝説は永遠に語り継がれることになったのである。
ニヤリと笑って「いいこと聞くじゃねえか」
輪島さんはこのあと、伏兵のホセ・デュランに敗れてベルトを失い、1977年6月7日、新たに王者となったエディ・ガソに挑戦、いいところなく敗れて引退した。不屈の闘志もついに燃え尽きたのか。いや、そうではなかったという。
「オレは医学も勉強するの。あのときは日常生活でもしっかり歩けなかった。試合になると一発も撃たれてないのにヒザがガクガクする。これはおかしい。己を知るんだよ。己を知って、もう続けることはできないと思ったんだ」
輪島さんは昭和の日本国民を熱狂させ、その名を歴史に刻んだ。20代半ばでボクシングを始め、考え得るあらゆる工夫を施し、ときに邪道と眉をひそめられながらも、勝利に執着した姿にはすごみがあった。そんな輪島さんに「ボクシングの魅力」を問うと、ニヤリと笑って「いいこと聞くじゃねえか」と次のように答えてくれた。