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「オレは死なないから絶対にタオルは入れるな」“炎の男”輪島功一の闘志はなぜ衰えなかったのか? 執念の世界王座奪還で日本中を熱狂させた日
posted2024/04/06 17:05
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
KYODO
1970年代に世界チャンピオンとして人気を博した輪島功一は、世界王座から陥落したあとも現役にこだわり続けた。そして一度負けた相手に2度のリベンジをはたし、国民的ヒーローの座を手に入れる。輪島はなぜ、“炎の男”と呼ばれるようになったのか。本人の証言とともに、“輪島功一伝説”をあらためて検証する。(全2回の2回目/前編へ)
医師の制止を振り切って退院「次は勝てる」
1971年にジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)世界王者となった輪島功一さんは74年6月4日、7度目の防衛戦でアメリカのオスカー“ショットガン”アルバラードに最終15回KO負けを喫して王座から陥落する。
このファイトのダメージは深刻で、輪島さんは試合が終わると病院に直行、入院を余儀なくされた。輪島さんが50年前の試合を振り返った。
「あの試合、『オレは死なないから絶対にタオルは入れるな』ってセコンドに言ってあったの。それで、殴られて、殴られて、15回KO負け。病院で『1カ月半から2カ月入院です』と言われけど、入院しているわけにはいかないんだよ。病院にいたら内臓が弱る。それで『起きられないから救急車を出してくれ』って言ったら、出せないと。だからタクシーの後部座席を取り外して、寝台車みたいにして家に帰ったんだよ。当時住んでいた高島平の団地にね。そうしたら担架がエレベーターに入らない。どうしたかって? 11階まで担いで運んでもらったよ」
自宅でしばらくは寝たきりの生活。復帰など当然見えてこない。それにしてもなぜ、輪島さんは医師の制止を振り切ってまで退院したのだろうか。
「もう1回あいつとやったら勝てると思ったんだ。もちろん一度倒された相手だ。みんな100%勝てないと言う。でも、どこかに抜け穴がある。オレのいいところを生かせれば勝てる。これとこれを油断したから負けた。だからこことここをこうすれば勝てる、という信念があったんだよ」