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「世界戦でカエル跳び、あっち向いてホイも…」“伝説のボクサー”輪島功一80歳が明かす奇想天外なアイデアの秘密「本当はやっちゃダメなんだよ」
posted2024/04/06 17:04
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
Keiji Ishikawa
いまから半世紀前、日本列島を熱狂させた世界チャンピオンがいた。“炎の男”輪島功一。「カエル跳び」「あっち向いてホイ」など奇想天外な技で対戦相手とファンの度肝を抜き、ベルトを失ってからは不屈の闘志で2度王座に返り咲くという離れ業を演じた。昭和の時代を一世風靡したボクサー、輪島功一の実像とは。昨年4月に傘寿を迎えた本人を直撃し、あらためて伝説を振り返る。(全2回の1回目/後編へ)
小学生で養子に「勉強しないで、仕事ばっかりしてた」
1970年代、日本中を熱くさせたあの輪島功一さんも80歳になった。自らが立ち上げた輪島功一スポーツジムの会長を2021年、次男で元プロボクサーの大千さんに譲り、現在は週に一度、土曜日になるとジムに顔を出す。足腰は弱ってきたが、練習生があいさつに顔を出すたびに、「よおっ!」と張り上げる声には迫力があり、その独特な語り口で聞く者を魅了する“輪島節”もいまなお健在だ。
「オレはね、小学6年で親父の兄貴のうちに養子に行くんだよ。親を憎んでないよ。時代だから。養子先は漁師町でさ、よりいいものを食わしてもらえるだろうってことだよ。向こうでは勉強しないで、仕事ばっかりしてたね。小学生だけど大人と一緒に重いものを背負うんだよ。それで足腰は強くなった。でも、重たいものを背負って歩くから、がに股になっちゃった(笑)」
輪島さんは戦争の真っ只中だった1943年4月21日に樺太で生まれ、戦争が終わると北海道に移住した。旭川市の北寄りに位置する内陸の町、士別市で暮らしていた小学校6年生のとき、北海道の西端にある漁師町、久遠村(現せたな町)にある父親の兄の家の養子となった。当時はまだ戦後、日本中で多くの国民が「食べるのが精一杯」という時代である。
中学を卒業し、定時制高校に入った輪島さんは故郷の士別にいったん戻り、17歳の春に上京する。東京では自動車修理工場を皮切りに、ガソリンスタンド、建設作業、新聞配達、雑貨屋など、さまざまな仕事を経験した。1960年代、日本はまだ若く、選ばなければ仕事はいくらでもあった。