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ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
「オレは死なないから絶対にタオルは入れるな」“炎の男”輪島功一の闘志はなぜ衰えなかったのか? 執念の世界王座奪還で日本中を熱狂させた日
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byKYODO
posted2024/04/06 17:05
1976年2月17日、8カ月前に敗れた柳済斗にリベンジを果たし、世界王者に返り咲いた輪島功一。こうして“炎の男”は伝説になった
寝たきりの状態から地道なリハビリへ。このような状態に陥っても闘志は衰えなかったというから驚きだ。そして王座陥落から7カ月半後の75年1月21日、アルバラードへの雪辱のチャンスを手にする。
“奇跡のカムバック”も、再びベルトを失い…
迎えたアルバラードとのリターンマッチ。輪島さんは前回の試合はオーバーワークが当日のコンディションに影響を与えたと反省し、練習の量を調整することを忘れなかった。
試合開始のゴングが鳴ると、輪島さんは躍動した。しゃがんだり、のけぞったり、いきなりパンチを打ったり、得意の変則ボクシングを遺憾なく発揮する。輪島さんは「3ラウンドまでに体力の7割を使う」という哲学を持っていた。序盤に流れを引き寄せるためにはスタミナを出し惜しみしない。これも輪島さんならではの「勇気」と言えるだろう。
アルバラードも持ち味のショットガンを炸裂させて試合は白熱。それでも輪島さんは第1戦とは見違えるような出来で、結果は文句なしの判定勝ち。リベンジ成功で王座に返り咲いた。この勝利は“奇跡のカムバック”と称賛された。一度負けた相手から世界タイトルを取り戻す。日本ボクシング史上初の快挙だった。
初防衛戦の相手は“日本人キラー”の柳済斗。1975年6月7日、ボクシングの世界タイトルマッチでは初めての日韓対決のゴングが鳴った。決して友好的とは言えなかった日韓の国民感情もあり、試合は異様な空気に包まれる。結果は輪島さんの7回TKO負け。5回終了のゴングが鳴った直後、輪島さんが両手を広げてニカッと笑ったところに柳の右ストレートが炸裂。輪島さんがダウンしたシーンが問題になった。
ゴング後であれば反則で柳に減点が科せられ、ゴング前であれば輪島さんのダウンとなり、それがジャッジに反映されるはずだが、そのどちらもないという不可解な結果となった。こうした経緯もあり、輪島さんは再び雪辱の舞台に立つことを誓ったのである。