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藤井聡太21歳「課題が残った」20連覇は研究者のように…「勝つことに慣れるのが怖い」大山康晴19連覇と好対照な勝負観〈元A級棋士の視点〉
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byJIJI PRESS
posted2024/02/23 06:00
王将戦3連覇を果たし、笑顔を見せる藤井聡太八冠。この防衛劇でタイトル戦20連覇となった
それは奇をてらったものではなく、深い読みの精度のうえの選択なのだ。だから常識外や危険に思える手も指せる。
藤井は終局後の感想で、勝っても「課題が残った」との言葉をよく使う。勝負師というよりも、研究者のイメージが強い。
大山19連覇の中で、最も凄絶だった山田との“盤外戦”
大山十五世名人は、63年(昭和38)の名人戦(挑戦者は升田幸三九段)から66年の名人戦(升田)まで、タイトル戦で19連覇していた。
その期間、大山のタイトル戦通算成績は69勝29敗(0.704)。最多の挑戦者は升田との6回。最終局まで持ち込まれたのは4回で、63年の十段戦(竜王戦の前身。挑戦者は升田)、64年の棋聖戦(関根茂七段)、65年の十段戦(二上達也八段)、66年の王将戦(山田道美八段)。そのうち3回はカド番を逃れての最終局だった。第3局までに負け越したのは6回あった。
大山は60年代に五冠王として君臨していたが、前記の例のようにぎりぎりの勝負を繰り広げていた。中でも66年の山田八段との王将戦は、盤外でも凄絶だった。
大山は、タイトル戦の対局場の雰囲気を自分のペースにするのも勝負術の一環という考えがあった。その一例が好きな麻雀で、自分で打ったり対局中は関係者に打たせた。
山田は大山打倒に向けて、大山のそうした仕切りや慣例に反発した。対局場への移動は単独行動をとり、大山や関係者との会食を拒否して自室で食事した。大山が対局中に関係者と雑談すると、自分の手番のときは関係者に退室してほしいと要望した。山田が昼食休憩中に盤の前で考えていると、それが気に食わない大山が「休憩中は盤の上に新聞紙をかぶせてほしい」と関係者に言ったという。
大山と山田の間には、一触即発の空気がみなぎっていた。そして、王将戦第2局の終盤の局面でハプニングが起きた。山田の上体が無意識に前傾して盤面に影を落とすことがしばしばあり、大山が「暗くしなさんな!」と厳しい口調で注意したのだ。山田は「はっ」と言って体をずらせた……。
この王将戦で山田は3勝1敗とリードしたが、大山は第5局以降に3連勝して王将を死守した。
山田は後日、「私の将棋は竹刀で戦っているようなところがあるが、大山さんの将棋は真剣の迫力がある。次に挑戦するときは、ボロ刀であっても真剣で立ち向かうつもりだ」と敗戦の弁を語った。
羽生でも23期…大山の50期連続出場が止まった日
大山は57年から67年までの約10年間に、前記の19連覇を挟んでタイトル戦に50期連続で出場し続けた不滅の大記録がある(2位は羽生善治九段の23期)。