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難病の闘病中に気づいた「社会を変えてやろう」“らしくない”場所で骨髄バンクイベントを行うプロスノーボーダー 

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/12/01 07:00

難病の闘病中に気づいた「社会を変えてやろう」“らしくない”場所で骨髄バンクイベントを行うプロスノーボーダー<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

――そもそもこのイベントは荒井さんの闘病中の思いが出発点になっていると聞きました。100万人に1人という難病だったそうですが。

「プロスノーボーダーとしての活動が軌道に乗り始めていた2007年に原因不明の体調不良に見舞われたんです。最初は扁桃腺がすごく腫れて。病院では2、3週間で収まるだろうと言われましたが、徐々に手が震え出したり、足がしびれたりするようになった。いくら検査を受けても病名もわからない。スノーボーダーとしての活動も続けていたのですが、ある日、自宅で気を失いました」

――それで「慢性活動性EBウィルス感染症」とわかったわけですね。

「すぐに診断が出たわけではありません。しばらく検査が続いてそれでもわからず、最後は柏の国立がん研究センターにセカンドオピニオンを求めに行って、ようやく世界でも稀な病気だとわかりました。治すには骨髄移植しかない。ただ、骨髄の型が兄とも一致せず、どうしようと思った時に紹介されたのが骨髄バンクでした」

――ドナーはすぐに見つかったのでしょうか。

「いえ、登録しても自分に完全に一致する型を持ったドナーは全国に14人しかいませんでした。しかも当時、そのタイミングで提供できる人は一人もいなかったんです。ドナー登録してから1カ月で連絡が来る人もいれば、10年来ない人もいる。ドナーの方も環境が変わってしまっていたんでしょうね」

――「5年生存率50%以下」という宣告もされたそうですが、治療もままならず精神的にはかなり追い込まれた状況だったのでは。

「こんな豊かな日本でこんな現実があるんだと思いました。その時に、もし生き残ったら『あなたのドナーは14人です』って言われる社会じゃなくて『100人いますよ』『1000人いますよ』って言われる社会に変えてやろうと考えたんです。それが治療のモチベーションにもなりました。実際にドナーが見つからなかったことで絶望してしまう、治療を諦めてしまう患者さんもいるんです。僕は半年後に完全一致ではなく、部分一致の50代女性から提供を受けられることになって命が繋がりました」

らしくない場所に行く意味

――それがどうしてスノーボードのイベントを始めることになるのでしょう。

「先ほども言ったように、新規の登録者がいないとドナーは増えていきません。“骨髄バンクらしい”イベントをやっても、らしい人しか集まらないんです。そこに来る人はみんな骨髄バンクの存在やその必要性は知ってるんですよ。だったら僕は“らしくない”場所に飛び込んでいこうと考えました」

――スノーボードでありながら会場が街中なのも同じ考えからでしょうか。

「そうですね。そこはスノーボードの素晴らしさを知ってもらうためでもあります。雪山でイベントをやっても周りは知ってる仲間ばかりで観客もいない。当初は渋谷とは思っていませんでしたが、代々木公園なら多くの人の目に触れることができます」

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