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中垣内祐一が“米農家”に異例の転身「高橋藍だって30年経てば…」56歳になった“元スーパーエース”の意外すぎる第二の人生 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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posted2023/11/14 11:01

中垣内祐一が“米農家”に異例の転身「高橋藍だって30年経てば…」56歳になった“元スーパーエース”の意外すぎる第二の人生<Number Web> photograph by NumberWeb

1990年代の男子バレーを牽引した中垣内祐一(56歳)。日本代表監督を退任した後は、故郷・福井に戻り家業を継いでいる

 バレーボールの実技も、受講するのはバレーボール部の学生ばかりでなく、体育教諭を目指す一般学生がほとんど。運動部に所属する選手も多く、サーブやレシーブをやらせればすぐできるようになるので手はかからない。だが前期の授業で別の教諭が受け持つ授業で補助役を務めた際も、体育館に現れても「大きい人が来た」と思われるぐらいで、かつての現役時代のような歓声が沸き起こるわけではない。

「授業が始まるのに寝転がってスマホを見ている学生もいるから、はいネット立てるよ、と(笑)。何度か言い続けて、やっと、はーい、と立ち上がって準備をする。補助とはいえ、バレーボールの授業をするのが初めてだったので、大学の職員の方が学生に向けて『中垣内先生がバレーボールの人だって知っているでしょ?』と聞いたら『知りません』って。もうね、そんなもんですよ。でも高橋藍だって30年経ったらきっと同じだよ(笑)」

「自分のことを知らない場所」で生きる

 バレーボールという世界から離れ、自分を知っているのが当たり前だった場所から、知らないのが当たり前、という場所で生きる今。教授という「教える」立場はむしろ、学ぶことばかりだという。

「もうすぐ授業が始まるのにダラダラしている学生も中にはいるんです。そういう姿を見ると、少し厳しくしたほうがいいのかな、とか、バレーボールの指導もバレーボールをやってきた人間としてある程度やったほうがいいのかな、と思ったこともあるんです。でも前期に授業(で補助)をした先生から『あんまり厳しくしすぎると、来年から授業を選択する子がいなくなってしまうので、ほどほどがいいですよ』と。その先生も最初は厳しくやろうと指導していたら、次の年は同じ授業を3人しか選択してくれなかったらしくて、厳しさよりも楽しむことを第一にしようと考え直した、と言っていたんです。なるほどな、と思ったし、授業をするから聞くのが当たり前じゃない。むしろ学生が飽きたり、寝ちゃったりする授業をするほうが悪いんだな、と思ったので、パワーポイントでいろいろ資料を入れたり、飽きられない工夫をね、それなりにしているんですよ」

 前期に比べて後期は授業の数も増え、野球部やゴルフ部に属する6人の学生の卒業論文も指導教諭として担当する。

「こんな先生に指導されるなんて学生がかわいそうだから、やめたほうがいいって言ったんです。僕も会社で働いていた時は論文を山ほど書いたけれど、大学の卒業論文は人生がかかるもの。中途半端に見られるようなものではないですから。今までは自分に矢印を向けて、一生懸命やれば何でもできると思ってきましたけど、農業も大学もそうじゃない。人の力を借りないと何もできないし、改めて、いろいろな人に助けられているのを日々実感しています」

【次ページ】 「今はただのファン。親戚のおじちゃん」

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中垣内祐一
フィリップ・ブラン
高橋藍
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