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バレーボールPRESSBACK NUMBER
中垣内祐一が“米農家”に異例の転身「高橋藍だって30年経てば…」56歳になった“元スーパーエース”の意外すぎる第二の人生
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byNumberWeb
posted2023/11/14 11:01
1990年代の男子バレーを牽引した中垣内祐一(56歳)。日本代表監督を退任した後は、故郷・福井に戻り家業を継いでいる
育てる米は化学肥料を使わず完全有機肥料を用いて農薬をギリギリまで減らしてつくる特別栽培米。夏場は雑草も伸びるので、いくつあっても手が足りず、大学の夏休み期間は一日中田んぼで農家として勤しむ日々。猛暑の下で日差しや暑さ対策をしても半袖のシャツから除く腕は真っ黒に日焼けしていた。
「学校が始まってからもやることがいっぱいあるので、朝7時から8時までとか、夕方の17時半から20時過ぎまで作業をしています。午前中は大きい帽子をかぶって手袋もするので、まだ(日焼けも)マシなほうなんですよ。最近会う人には『ゴルフでもやっているんだろう』と思われるみたいですけど、朝から晩まで農家の農業焼けです」
稲の管理から種もみ、田植えや稲刈りといった作業に加え、つくった米をいかに多くの人に知ってもらうかという“営業”も自ら行う。JAに出荷し、前述のスーパーにも米が並ぶなど、その成果は着実に広がっているように見えるが、費やす時間や作業工程に適した収入が得られるかと言えば「ボランティアではないかと思うぐらいお金にはならない」と苦笑いを浮かべる。田んぼで作業をする日は足腰も痛く「若くないことを実感してますよ」。それでも、土や水に触れ、季節の移り変わりを楽しんでいる。
「『ふくむすめ』はもちっとしているから、水は少なめに炊く。その塩梅がコツなんですよ。『ピカツンタ』のほうが簡単かな」
日本代表監督として試合を終えた直後の記者会見とはまるで違う、穏やかな表情だった。
家業を継ぐために故郷へ戻ってきたが…
2021年9月のアジア選手権後に日本代表監督を退いた。所属する堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)も翌年の6月に退社し、生まれ故郷の福井へ戻った。前述の通り、家業を継ぐための帰郷だったが、同じ頃「せっかく福井に帰って来たなら」と福井工業大学の運営母体である金井学園の理事長から大学バレーボール部の総監督と教授の打診を受けた。自身のライフプランには全く想像もしなかった申し出だったが、故郷の役に立てるなら、と受諾。同年10月に正式発表された。
月曜から金曜までの平日は8時半から17時半まで大学で働き、安全管理論、スポーツ施設論、スポーツ指導の基礎といった座学も受け持ち、今年度の後期からはバレーボールの実技も受け持つ。その準備だけでなく、空いた時間や夏休みなど長期休暇の時期を農業に充てるうえ、総監督としてバレーボール部に携わるのはさぞ大変だろうと思いきや、バレーボール部に関しては「名ばかりで、本格的に指導をするわけではない雑用係」と笑う。
「現場に出ても邪魔するだけじゃないですか(笑)。そもそも今の子は、僕のことなんて知らない。『俺、中垣内だぞ』なんて自分で言うはずもないし、言ったところでだから何? ってなるだけですから(笑)」