「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER

スタメン捕手が靭帯断裂、シーズン中に消えたエース…大矢明彦がいま明かす“1978年、初優勝の真実”「ヤクルトでやってきてよかった…」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph bySankei Shimbun

posted2023/11/15 11:03

スタメン捕手が靭帯断裂、シーズン中に消えたエース…大矢明彦がいま明かす“1978年、初優勝の真実”「ヤクルトでやってきてよかった…」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

「花の昭和22年組」と呼ばれ、ヤクルト初優勝の原動力となった大矢明彦と若松勉。悲願をかなえた夜、若松は人目もはばからず号泣した

「それまでは強いスワローズを見たことがなかったと思うんです。でも、“今年はもしかしたら……”ということで、ものすごい声援でした。それが、すごく僕たちを後押ししてくれたと思いますね」

 ファンの熱い声援もあって、9月6日、ヤクルトはついに首位を奪い返す。打線も上向き、17日の広島戦では大矢にホームランが飛び出し、ついにマジック14が点灯。19日から21日までは、「三夜連続サヨナラ勝利」という離れ業も演じた。そして10月4日、ヤクルトナインは歓喜の瞬間を迎える。

「あの瞬間のことは、もちろんハッキリ覚えています。ものすごい達成感がありました。“ヤクルトでやってきてよかった……”、そんな思いでいっぱいでした」

 若松は、「優勝直後に大矢と抱き合って泣いた」と言っていた。大矢もまた、その光景を鮮やかに記憶していた。

「胴上げの瞬間にファンの人がなだれ込んできたから、僕らはベンチ裏に引き下がりました。そのとき若松の目は潤んでいて、“よかったな、ワカ……”と抱き合いました」

 球団創設29年目にして初めて迎えた歓喜の瞬間。扇の要としてチームを支え続けた大矢の功績は計り知れないほど大きかった――。

<第4回に続く>

#16に続く
広岡達朗は“名将”だったのか? 非難でも称賛でもなく…大矢明彦に聞いた“本当のヒロオカ論”「説明があれば、結果は違っていたのかな」

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