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藤井聡太でも伊藤匠でもない…小3の全国大会で優勝、藤井世代“もうひとりの天才”はなぜプロに進まなかった?「将棋を指す行為が“嫌い”になった」 

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茂野聡士

茂野聡士Satoshi Shigeno

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2023/11/10 06:00

藤井聡太でも伊藤匠でもない…小3の全国大会で優勝、藤井世代“もうひとりの天才”はなぜプロに進まなかった?「将棋を指す行為が“嫌い”になった」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

藤井聡太と伊藤匠。2人が出場した小学3年の全国大会で優勝したのが川島滉生さんだ。本人に話を聞いた

 川島さんと伊藤が初めて出会ったのは小学校1年生の夏ごろ。それ以降、同じ将棋クラブで腕を磨き合った間柄だった。とはいえ当初は、伊藤の棋力が圧倒的に上で、コテンパンに負かされた。

「最初に出会ったのは小1の7~8月で、実力差がありすぎたんです。そこから徐々に自分にも棋力がついてきて〈ちゃんとした将棋になりはじめてきたかな〉と思い始めていた。だけど彼の本当の強さが分かったのは小2の春から夏前のことで〈これは本物だな〉と思ったんです。終盤力がズバ抜けていて、終盤にすごく突き放される。あるいは優勢だったはずの将棋で大逆転負けを食らったりして、他の人と違うというのは感じざるを得なかったんです」

 ただそれと同時に、本人が「将棋に向いている」という気持ち――負けん気も燃えていた。

あの時はほとんど差はないという感覚でした

「僕も負けず嫌いなところがあるので、実力が圧倒的に雲の上だとしても、彼を目標にするしかない。〈いつか追いついてやろう〉という気持ちは、最初に負けた時から持っていたんです」

 たっくんに追いつくために――川島さんは「土日だと1日10時間は平気でやっていましたね」というほど、将棋に心血を注ぎ込んだ。その思いを持って実力を磨き上げ、大舞台で伊藤に勝利したのが、冒頭に触れた小学生大会である。

「ずっと当時2人で相矢倉をやっていて、対局の95%が相矢倉だったんです」

 当時、将棋界の頂点に立っていたのは、羽生善治・現日本将棋連盟会長と、大会に出席していた森内だった。名人戦を筆頭にしたゴールデンカードでは相矢倉での戦いが多く、2人は自然とその形で戦っていたそうだ。その中で伊藤の変化に川島が対応し、見事勝利したのだった。

「あの時はほとんど差はないという感覚でした。やれば勝率45%くらいはあるなっていう距離感でした」

尻尾はつかみかけるんだけど…

 ただそれと同時に、強くなる過程においてこんな気持ちも感じていたのだという。

「だんだん尻尾はつかみかけるんだけど、また逃げられちゃう。そんな状況が続いていたんです」

 差を詰めたはずなのに、また少しずつ引き離される。川島さんは、徹底的と言っていいほど将棋に一意専心する伊藤の姿勢に「プロ棋士を本気で目指す人物」の凄みを感じていた。

<続く>

#2に続く
伊藤匠は「夢を半分実現してくれた」かつてのライバル、学生名人・川島滉生が語る“幼なじみ”への思い「たっくんは全てを将棋にささげていた」

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