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「バースと勝負する?」掛布雅之×吉田義男×岡田彰布が語った“1985年阪神日本一”のありえない熱狂「バックスクリーン3連発よりも…」
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Number編集部Sports Graphic Number
photograph byYoshiyuki Hata
posted2023/11/02 11:00
1985年阪神日本一のレジェンド(左から)掛布雅之、吉田義男、岡田彰布による初の豪華座談会をお届けする(2015年刊行のNumber885号より)
――それにしてもあの年は打のチームでした。その中でバース、掛布、岡田のクリーンアップの並びは全然崩れませんでしたね。
吉田 崩すわけないですよ。3番、4番、5番が全員3割打って打点は100、ホームランも30~50本。ものすごい楽でしたな。ここに関しては作戦も何もないですもん。どうぞお好きにやってください、と(笑)。
――4月には伝説の甲子園バックスクリーン3連発もありました。ファンは「あれで優勝できると思った」なんて言いますが。
吉田 勢いづいたという意味では、すごく大きなインパクトがありましたな。まあ、まだ開幕して4試合目でしたけども。
岡田 3連発より、あそこで巨人に3連勝した方が大きかったんとちがうかなあ。
掛布 そうだね。それと、僕はバースが4月にホームランを打ったということに意味があったと思います。例年エンジンがかかるのが遅いランディが打ったということに、打線が勇気づけられた。
――打線の繋がりという意味では、’85年の掛布さんは四球が94個でリーグ最多でした。
掛布 前を打つバースが好調。後ろのオカ(岡田)も状態が良かったでしょう。4番の僕がシャカリキに勝負に行ったら、打線がバラバラになるという気持ちはありましたよ。僕は15年現役をやったけども、あの年が一番、我慢をした年でした。
吉田 我慢しとったか。
掛布 というのも、前のバースに対しては、4番としての強さを見せつけないといけない。一方で、僕が出塁することでオカのヒットやホームランが得点を生み、チームの勝利につながる。だから、仕掛けを遅らせたり、色々間を作ったり、オカを活かすということも考えていた。前が後ろを活かし、後ろが前を活かすという、そのあたりのバランスをすごく意識していましたね。
吉田 あの年は掛布が長年かけて作り上げた「怖さ」が、相手にプレッシャーを与えておったと思います。だから、みんなバースで勝負するわけです。その中での掛布の3割40本100打点という数字は、見た目以上に立派な数字やと思いますな。
個人の勝負もプロ野球の醍醐味「よっしゃ、勝負せい」
――その後ろの岡田さんも、最後はバースと首位打者争いをするほど打ちましたね。
吉田 あれは130試合目、最終戦でしたかな。打率トップのバースと、岡田の二人を部屋に呼んだことがありました。あの時、4厘か5厘差やったからね。「おい、どうする?」と。そしたら岡田は「勝負する」と言いよったな。覚えてるか?