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「阪神のARE=アレ」と「おーん、そらそうよ」寛大な関西人・岡田彰布監督は「審判への抗議」も公益のため…一流の野球人なワケ

posted2023/09/15 17:22

 
「阪神のARE=アレ」と「おーん、そらそうよ」寛大な関西人・岡田彰布監督は「審判への抗議」も公益のため…一流の野球人なワケ<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

11連勝フィニッシュで18年ぶりのセ・リーグ制覇。阪神タイガースの熱狂をもたらしたのは岡田監督の采配だった

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Hideki Sugiyama

 18年ぶりにセ・リーグで「アレ」こと優勝を果たした阪神タイガース。関西圏に在住の筆者が記す、“岡田彰布監督と関西圏の気質”とは。

 18年ぶりに阪神のリーグ優勝が決まった。11連勝で一気に駆け抜けた。再任の岡田彰布監督は優勝を「アレ=ARE」と名付けて目標に掲げた。

「ARE」は近年まれに見る「神ネーミング」ではあろう。全国各地の人は「何、それ?」と思うかもしれないが、大阪人には、そのニュアンスがよくわかる。

 大阪の年配の人は、よく指示語だけで会話を済ませてしまうのだ。

「おい、あれ、どないなったかいな?」

「あ、あれですか? あれやったらそれと一緒に、こないしときました」

「そうかいな、それやったらええのや」

 当事者だけが分かればいい話というのが大阪にはあって、そこで通用すればいいということだ。反対に言えば「部外者は知らんでもよろし」ということでもある。

北陽→早大は大阪の野球少年のエリートだった

 岡田彰布は大阪市の中心部、玉造の製造業の家に生まれた。明星中学に進み、野球で注目された。系列の明星高校は甲子園で優勝したこともある強豪だが、岡田は同じ大阪の北陽高校に進んだ。

 筆者は岡田より2歳下で、高校から明星に通ったが、日生球場への野球応援の行き帰りに岡田の実家の前を通った。通るたびに先輩が「これ、岡田の家やで。岡田が明星に行ってたら甲子園行けたのに」と言っていたのをよく覚えている。

 岡田は北陽高から早稲田大学を経て阪神に入団した。大阪の高校から東京六大学に進むのは、大阪の野球少年のエリートコースだった。

 阪神に入団して、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発で名をはせ、引退後は阪神、オリックスの監督を歴任。そして今年、15年ぶりに阪神に戻ってきた。

スポーツ紙のコメントが「おーん」ばかり

 岡田が監督に就任してから、関西で発売されるスポーツ紙の紙面に異変が起きた。岡田監督のインタビューだけ、異様な言語が紙面に並ぶようになったのだ。以下、各紙の代表例を列記する。

「そうや。うん、まあ、当然、近本から走るケースやで。まあ敬遠はちょっと予想してなかったけどなあ、おーん」(報知新聞)

「まあ、でも結局ストライクなあ、そらなあ、ピッチャーによってだいぶ違うからのお。そら何とか今日なんかやろうとそら思てるけど、そらなあ。でもなあ、ストライクが来んかったらどうしようもないよな、おーん」(日刊スポーツ)

【次ページ】 「おーん」は恐らく「相槌」なのだが

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