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バスケ躍進の“重要人物”ホーキンソンの激動人生…155キロ投げた野球を断念、ホームシックに「まずいな…」父が語る“日本国籍を取得する”まで 

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和田隆文

和田隆文Takafumi Wada

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photograph byTakashi Aoyama/Getty Images

posted2023/09/05 11:01

バスケ躍進の“重要人物”ホーキンソンの激動人生…155キロ投げた野球を断念、ホームシックに「まずいな…」父が語る“日本国籍を取得する”まで<Number Web> photograph by Takashi Aoyama/Getty Images

バスケ躍進の“重要人物”ホーキンソンのルーツを父が明かした

 ジョシュはトミー・ジョン手術の事例などを読みあさったというが、投手として先行きへの不安はぬぐえなかった。野球を断念し、バスケットでリクルートされて地元のワシントン州立大へ。17歳だった息子の大きな決断を語るネルズさんの口ぶりは、とても優しい。

「彼がバスケットをやりたいと決めたのは、そのカルチャーゆえ。より楽しめて、よりヒップホップで、より面白い。投手として大リーグやプロに行ったとしても投げるのは4日か5日に一度で、それは彼にとっては退屈なんだ。とにかく毎日プレーしたい子だったから」

地で行く「文武両道」

 ワシントン州立大ではリバウンドなどで大学記録を塗り替え、学業でも秀でた。3年間で学士号、最後の1年で経営学修士MBAを取り、パシフィック12カンファレンス(Pac-12)のスカラー・アスリート・オブ・ザ・イヤー(文武両道の年間最優秀選手)に。NBAのトライアウトで数チームから接触があったが、2017年のドラフトにはかからなかった。

 ネルズさんにもNBAのチームがジョシュの指名を見送る予感があったといい、「スキルはとても高かったが、その当時は運動能力がそれほど(NBAの水準)ではなかった」と振り返る。そして、ナンシーさんと2人でこう思っていた。「ヨーロッパがいいんじゃないか」。

驚きの進路…「ジャパン?」

 だから、行き先がBリーグの、しかも当時2部のFE名古屋だと告げられたときは驚きが先に立ったという。「ジャパン?」。ネルズさん自身は何十年も前に一度訪れたきりで、日本のことをほぼ何も知らなかった。ただそこで、一つの顔が浮かんだ。血の濃さを少し感じた。

 ネルズさんの父は1920年代から米国商船の船員で、30~50年代にかけて何度も日本に航行していた。母へのお土産にノリタケチャイナを買ってきた昔話も聞いたことがある。「腰が低くて、つつましい」という人柄も、どことなく孫のジョシュと似ていた。

 ネルズさん自身も大学バスケットの試合を各国で開くなどのビジネスをナンシーさんと手掛け、これまでに「90カ国」を訪れた。持論は「やりたいことをするためなら米国に住まなくてもいい。ただし、勇気はいる」。日本で当初苦しんだジョシュに手をさしのべた。

【次ページ】 「ホームシックになっていた」

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