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河村勇輝は“大学中退→プロ”、「NBA初の日本人シューターに」富永啓生、「渡米を反対された」渡邊雄太…バスケ日本代表“学生時の決断”
posted2023/09/06 17:00
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
FIBA
<名言1>
自分の目標に対して、直感や自分の気持ちを尊重したいと思っていたので、恐怖心はなかったです。
(河村勇輝/NumberWeb 2022年3月31日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/852636
◇解説◇
列島に鮮烈な興奮と感動をもたらしたバスケットボール日本代表。特に新世代のプレーヤーとしてスポットライトを浴びたのは河村だ。172cmながら類稀なクイックネスを持つ河村は、福岡第一高校時代にウインターカップ連覇など全国制覇を4度経験。特別指定選手として当時高校生ながらB1リーグ史上最年少出場と得点(18歳8カ月23日)をマークするなど、その将来を嘱望された。
河村はなぜ「大学中退→プロ」を選んだか
22-23シーズンのBリーグではMVP、ベスト5、新人賞などタイトルを総なめにした河村。彼が進路で大きな決断をしたのは、22年3月のことだった。大学バスケ屈指の名門である東海大学に進学し、特別指定選手として横浜ビー・コルセアーズに入団していた河村だが、22-23シーズンからのプロ契約を結ぶとともに、大学中退を発表したのだった。
その当時、河村はアナウンサー田中大貴氏のインタビューに対してこのように答えている。
「大学に進学した理由は、プロでやっていくための体を作る、陸川(章)監督のもとでバスケットIQを高める、人間性の厚みを広げるためでした。2年間ではありましたが、しっかりと成長できたと感じたので、中退という決断ができたと思っています」
今回のW杯ではパリ五輪出場を決めても、河村は感情を爆発させるというより、落ち着いた表情を見せていたそうだ。20歳でのプロ転向への決断も含めて、彼の聡明さが垣間見えてくる。
NBA初の日本人シューターになりたい
<名言2>
NBA初の日本人シューターになりたいと思いますし、代表として東京五輪に出ることも目指したい。
(富永啓生/Number971号 2019年1月31日発売)
◇解説◇
日本が48年ぶりに自力での五輪出場を決めたW杯カーボベルデ戦で“オンファイアー”となったのは富永だった。
得意の3ポイントシュートは6本連続を含む成功率75%(計22得点)と驚愕のスタッツを残した。