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「足、震えてましたよ」DeNA山崎康晃“16歳の涙”にあった反骨の原点…最後の夏は屈辱のコールド負けに「恥ずかしくて地元を歩けなかった」 

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日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/08/20 17:01

「足、震えてましたよ」DeNA山崎康晃“16歳の涙”にあった反骨の原点…最後の夏は屈辱のコールド負けに「恥ずかしくて地元を歩けなかった」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

帝京高校時代のいくつもの敗戦とその悔しさが、今の山崎康晃を支えている

 山崎の高校野球の記憶は、その大半が悔しさで占められている。まずチーム内での競争がタフだった。山﨑が思い返す。

「1つ下にスーパー1年生がいましたから。前田(三夫)監督も『特別扱いする』って言ってて。ぼくは『かかってこい!』くらいの気持ちでいたけど、セレクションの段階で144kmを出していた。これはエンジンが違うな、と。プロに入って『プレミア12』で大谷翔平といっしょにプレーしたときの衝撃と似てましたよね」 

 その後輩の名は伊藤拓郎。有力選手が集う名門で易々とメンバー入りを果たすと、3年生エースに次ぐ地位を得た。'09年夏の甲子園では山崎に先んじてマウンドに送り込まれた。1年生投手として甲子園史上最速の148kmをマーク。マスコミの注目度も高かった。

チームを背負う感覚はなかった。

 帝京は翌'10年のセンバツにも出場を果たす。エースナンバーは新3年生の鈴木昇太に与えられ、山崎の「3番手の控え投手」という立ち位置に変わりはなかった。

 ようやく巡ってきた登板機会は準々決勝の興南戦、5点ビハインドの7回途中。春夏連覇を達成することになる興南の強力打線を無失点に抑えたが、試合には敗れた。負け試合でのリリーフ起用。ゼロを並べたのに敗戦。前年の夏とよく似ていた。

「チームを背負っているという感覚はあまりなかった」との言葉は真実だろう。甲子園の土を踏めたことに対する達成感はもちろんあったが、それ以上に悔しさが募った。本心から求めていた場所には、まだ到達できていなかった。

「エースになりたかった。そこはずっともやもやしていて、ときには後輩に当たったこともありました。『控え投手が何を言ってるんだ』って思われてたかもしれない」

【次ページ】 悔しさが物語を次に進めていく。

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