Beyond The GameBACK NUMBER

昭和44年、平和台球場にて。中西太は、太かった。

posted2023/06/14 09:00

 
昭和44年、平和台球場にて。中西太は、太かった。<Number Web> photograph by Bungeishunju

1953年には36本塁打を放ち、20歳で本塁打王に。大映、近鉄のチーム本塁打数を個人で上回った

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

PROFILE

photograph by

Bungeishunju

 平凡な監督にして非凡なコーチであり、おそるべき打者であった。

 中西太、死す。享年90。

 1952年。西鉄ライオンズに怪童が現れた。名のごとく太くたくましい尻。ブンと空気を揺らすスイング。香川の高松第一高校から入団、たちまち111試合出場を果たして新人王を獲得する。

 本塁打王が5度。首位打者は2度。打点王には3度。そんな分厚い記録の意味はもはや薄い。イメージが数字を覆い尽くすからだ。

 四国に生まれた力自慢が九州の暴れん坊球団で打ちまくった。

 ショートが跳んで捕ろうとした打球が外野席へ消えた。強振のファウルチップのあとに焦げた臭いが漂った。細かな真偽はどうでもよかった。中西太はニッポン野球列島の民間伝承なのである。

こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。

残り: 904文字

NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく
NumberWeb内のすべての有料記事をお読みいただけます。

関連記事

中西太
西鉄ライオンズ
三原脩
河村英文

プロ野球の前後の記事

ページトップ