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『BOSJ』初制覇マスター・ワトは新時代の扉を開けるか? 26歳が歩んだ“順風満帆ではないプロレス道”「メキシコの黄色い鶏肉が懐かしい…」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/06/01 17:13
『BEST OF THE SUPER Jr.』初優勝を飾ったマスター・ワト。6月4日、大阪城ホールで高橋ヒロムの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑む
「黄色い肉」を食べて王者にたどり着いたメキシコ時代
2015年の春に高校を卒業した川人は新日本の合宿所に入り、2016年の1月にデビューすることができた。
2017年のヤングライオン杯では準優勝だったが、力をつけていた。翌2018年2月からメキシコCMLLのマットに戦場を移した。
CMLLでのリングネームは「Kawato San」(カワトサン)という奇抜なものだった。サンはサンでも英語の太陽を意味する「Sun」ではなく、よく外国人が日本人に対してつける「○○サン」という敬称の方だ。リングネームとしては、本人も驚くようなものになってしまった。
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メキシコでは飲み水のせいで必ずと言っていいほど腹をやられ、下痢などで体重が落ちてしまう。さらに標高2000メートルを超える高地のメキシコシティで、最初のうちは酸欠に悩まされた。市内には日本食の店がいっぱいあったので、それを利用していた。
「好き嫌いはないんです。肉でも魚でもなんでも大丈夫。肉はハラミをよく食べていました。赤いやつ。それがうまいんです。タコスもよく食べていました。ただ、アボカド・アレルギーなんです。それから、パクチーはダメですね。あとはなんでも」
ワトはメキシコでの思い出を振り返りながら突然、「黄色い鶏」と言い出した。
「鶏肉なんですけど、肉の色が黄色いんです。なんか黄色い花を食べているとかで。懐かしいですよ。黄色い肉、食べに行ってください」
メキシコシティのチャプルテペック公園の国立人類学博物館には、「太陽の石」と呼ばれるアステカ文明時代の暦石が置かれている。ワトはなぜかそれに未来と魅力を感じて、何度か足を運んだという。
2019年6月にはCMLL世界スーパーライト級王座を獲得した。このベルトは、ドラゴン・リーやカマイタチ(高橋ヒロム)も巻いたものだったが、怪我による欠場で防衛戦ができず、王座は剥奪されてしまった。
3年超えられなかったBOSJ「5勝の壁」
2020年、帰国がほのめかされていた川人は、7月に「マスター・ワト」という新しいリングネームで後楽園ホールに登場した。無観客でのお披露目は致し方なかったが、挨拶の最中にDOUKIの急襲を受けてしまう。
同年の『BOSJ 27』は4勝5敗。2021年の『BOSJ 28』は4勝7敗。2022年の『BOSJ 29』は4勝5敗。3大会とも「5勝の壁」がワトの前に立ちはだかっていた。
今年3月に後楽園ホールで行われたオールスター戦『ジュニア夢の祭典』ではメインイベントに登場、全日本プロレスの青柳亮生を破り、勝ち名乗りを受けた。ジュニアの先駆者藤波辰爾からも祝福を受けた。時代がワトに近づいてきた。いや、ワトが時代を切り開こうとしていた。