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『BOSJ』初制覇マスター・ワトは新時代の扉を開けるか? 26歳が歩んだ“順風満帆ではないプロレス道”「メキシコの黄色い鶏肉が懐かしい…」

posted2023/06/01 17:13

 
『BOSJ』初制覇マスター・ワトは新時代の扉を開けるか? 26歳が歩んだ“順風満帆ではないプロレス道”「メキシコの黄色い鶏肉が懐かしい…」<Number Web> photograph by Essei Hara

『BEST OF THE SUPER Jr.』初優勝を飾ったマスター・ワト。6月4日、大阪城ホールで高橋ヒロムの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑む

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原悦生

原悦生Essei Hara

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 新日本プロレス30回目の『BEST OF THE SUPER Jr.』(以下、BOSJ)を制したのは、26歳のマスター・ワトだった。メキシコCMLLのティタンと5月28日に大田区総合体育館で優勝決定戦を戦い、激しい空中戦を含むスリリングな攻防の末、ワトが競り勝ち初優勝を遂げた。

小学生で「プロレスラーになる」と決意

 10選手ずつ2つに分かれたリーグ戦のBブロックでは、激しい星のつぶし合いが展開された。ワトはエル・デスペラードとYOHに敗れたが、首位のデスペラードと同じ7勝2敗、勝ち点14の2位で準決勝にコマを進めた。

 Aブロックも波乱だった。石森太二は高橋ヒロムとの試合で負傷し、終盤で欠場。3連覇中だった高橋も準決勝に進めなかった。インパクト・レスリングから参加してカンフー殺法を駆使したマイク・ベイリーが1位、2位がティタンだった。

 ワトは準決勝でベイリーをジャーマン・スープレックスで倒し、ティタンはジャベ・インモルタル(変形の鎌固め)でデスペラードの初優勝への野望を砕いた。

 準決勝、決勝と、誰が勝っても初優勝という新鮮さに加え、レベルの高い試合の連続。ファンの歓声が途切れることはなかった。

「やっとここまで来られました。初めて新日本プロレスを会場で見た大会が、この『BOSJ』でした。いつかこのリングに立って戦いたい、そう思い続けてやってきました」

 マスター・ワトこと川人拓来(かわと・ひらい)は、大阪府の池田市で生まれた。小学生の時、母親と一緒にテレビでプロレスを見る機会に遭遇した。新日本プロレスだった。その瞬間に「プロレスラーになる」ことを決意したという。運命というのだろうか。母親も兄もプロレスが好きだった。毎日、家で兄とプロレスごっこに明け暮れた。

 小学校の卒業式ではクラスのみんなに「プロレスラーになる」と宣言した。中学に入るとどうしたらプロレスラーになれるかを調べて、棚橋弘至のトレーニング本も買った。ウエイト・トレーニングにも真剣に取り組んだ。近所の総合格闘技のジムにも通うようになった。

 高校に入学すると空手も始め、新日本プロレスに入門するまで続けた。中邑真輔のような打撃の強い選手になりたかった。プロレスラーになるという意思は固かった。

 高校2年生の時に新日本プロレスの公開入門オーディションがあった。内容的には「余裕だった」ものの、18歳という年齢規定で落とされたという。その後、高校3年生の時に合格した。

【次ページ】 「黄色い肉」を食べて王者にたどり着いたメキシコ時代

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