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問題児FWが“首位争い中にサンバ帰国”、ネイマールも怒られた…ブラジル人の「カーニバル愛」がフットボール級にアツすぎなワケ
posted2023/02/21 17:03
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Naoya Sanuki/Takuya Sugiyama
地域によって多少の違いはあるが、主として2月18日から2日連続で、いずれも夜から未明にかけて、ブラジル各地でカーニバルのパレードが行なわれた。
18日から23日正午まで学校や役所が閉鎖され、交通機関を除くほとんどの商業活動がストップ。国の機能がほぼ完全に止まり、全土が異様な高揚感と喧騒に包まれた。
休みの長さという点では日本の年末年始と似ているが、静かな日本の正月とは反対に何とも騒々しい。
意外と知らないカーニバルの基礎知識
カーニバルは、カトリックの祭日だ。「イエス・キリストが十字架にかけられて亡くなり、その3日後に復活を遂げたことから、復活祭直前の聖週間を挟む四旬節(40日)の間、信者は肉食を控えるなど慎ましい生活を送らなければならない。それゆえ、四旬節に入る直前は多少羽目を外して楽しんでもかまわない」という宗教的な意味合いを持つ。
世界各地で信者たちが各々のやり方でカーニバルを催すようになったのだが、次第に本来の宗教的な意味が薄れていった。そして、ブラジルではアフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちが創り出したサンバの音楽と踊りを中心に据え、人種の垣根を超えて庶民たちが乱痴気騒ぎを繰り広げるようになった。
そこには、カーニバルの間だけでも華やかに着飾って歌い踊ることで、日頃の生活苦の鬱憤を晴らすという意味合いも含まれている。
1822年のブラジル独立と同時に首都となったリオ(注:1960年にブラジリアへ遷都)では、1893年にカーニバルが始まった。当初は、市内の有力サンバチームが広場で歌と踊りを披露していた。しかし、スポーツジャーナリストのマリオ・フィーリョがフットボールのようにリーグを組織して競技形式とすることを提案。1935年にリオ市がサンバチームへ助成金を出すようになって規模が拡大し、華美にしてダイナミックになり、世界的に知られるようになった。
露出度の高さには「教育上好ましくない」の声も
なお、マリオ・フィーリョはブラジルが1950年のワールドカップ(W杯)を誘致した際、世界最大のスタジアムの建設を訴えた。彼の主張が実ってマラカナン・スタジアム(俗称)が建設され、その正式名称「エスタジオ・ジョルナリスタ・マリオ・フィーリョ」に自身の名を残している。
現在、リオのカーニバルは5部まである。トップリーグには12チームが参加し、各チームの構成員は5000人前後と膨大だ。9万人を収容するカーニバル専用会場「サンボドロモ」で、二日二晩、巨大な山車を次々に繰り出し、きらびやかな衣装をまとったダンサーが大音響でサンバを歌い踊りながら練り歩く。
どうしても目を奪われてしまうのが、女性ダンサーの露出度の高さ(日本でも浅草、沖縄などでサンバ・カーニバルが開催されるが、比較にならない)。極小ビキニで、お尻は丸出し。胸も半分以上見えていることが多く、時には完全に露出している女性もいる。そして、このパレードの光景を地上波のテレビが徹夜で完全生中継するのだ。
カトリック教会が「余りにも露出度が高すぎて風紀を乱す」、「子供もテレビを見るので、教育上、望ましくない」と主催者とテレビ局に抗議するが、全く効果がない。
スタンドの観客も、おとなしく座って静かに鑑賞するわけではない。観客のほとんどが立ち上がり、大声で歌い踊りながら、ひいきチームを熱烈に応援する。