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問題児FWが“首位争い中にサンバ帰国”、ネイマールも怒られた…ブラジル人の「カーニバル愛」がフットボール級にアツすぎなワケ
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byNaoya Sanuki/Takuya Sugiyama
posted2023/02/21 17:03
エジムンドとネイマール。ブラジルが誇るフットボーラーだが、カーニバルをめぐって騒動を起こしたことがある
筆者も会場で見物したことがあるが、強烈な打楽器のリズムを全身に浴びると、体の中に眠っていた本能が呼び起こされたようで、サンバなど全く踊れないのに体が勝手に動き出す。何とも不可思議で、忘れがたい体験だった。
リオ以外の町でも、様々なスタイルのカーニバルが行なわれている。たとえば、北東部ではバンドの演奏に合わせて数十万人が乱舞する「参加型」のカーニバルが主流だ。
エジムンドが起こした「カーニバル帰国事件」とは
要するに、ブラジルのカーニバルは大衆が繰り広げる夜通しの乱痴気騒ぎ。中流以下の階級の出身者が多いフットボーラーは、大半が愛好者だ。そして、彼らの過剰なまでの「カーニバル愛」は、しばしば物議を醸してきた。
最も有名なのが、1999年にブラジル代表FWエジムンドが起こした事件だろう。
エジムンドは問題児扱いされながらも、鋭い突破力、巧みなドリブル、高い決定力、抜群の勝負強さでアニマル(野獣)と呼ばれ、バスコダガマ、東京ヴェルディなどで活躍したストライカーだ。
1997年にフィレンティーナ(イタリア)へ移籍し、彼にとって2季目の1998-99シーズン、チームはセリエAの第20節まで首位を快走していた。
この年のカーニバルは、2月13日と14日。エジムンドはリオの有名サンバチーム「サルゲイロ」から出場を打診され、クラブ首脳に願い出てカーニバル期間中に帰国する許可を得ていた。
ところが、カーニバル前最後の試合で、チームのエースストライカーのアルゼンチン代表CFガブリエル・バティストゥータ(1998年ワールドカップの日本戦で決勝点をあげた)が膝を故障して約1カ月の欠場を余儀なくされた。この緊急事態にクラブは帰国を思い留まるようエジムンドに伝えたが、本人は「サルゲイロとの約束があるから」と言って譲らない。クラブ関係者とサポーターからの懇願を振り切って帰国し、チームメイトは「我々への重大な裏切り行為だ」と激怒した。
「エジムンドがいれば間違いなく優勝していた」
2月14日の第21節で、ツートップを欠くフィオレンティーナは手痛い敗北を喫する。そして、まさにこの日、エジムンドはリオのサンボドロモで満面に笑みを浮かべて踊った。
この写真が翌日のイタリアのスポーツ紙の一面に掲載され、クラブ関係者とサポーターの怒りに油を注いだ。
カーニバルが終わると、エジムンドはすぐにイタリアへ舞い戻り、2月21日の第21節にフル出場している。しかし、優勝争いの真っ最中にチームを見捨てて「カーニバル帰国」を強行したことでチームメイトとの間に埋めがたい溝が生まれ、チーム全体がおかしくなった。第20節以降、チームは3勝5分6敗と失速し、3位に終わった。