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「マフィアに入った弟をボコボコに」引退ヒョードルの“内なる激情”とは? 人類最強と呼ばれた男の逸話「ロシア軍の許せない先輩を…」
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2023/02/12 17:03
PRIDE黄金時代、「人類最強」の名をほしいままにしていたエメリヤーエンコ・ヒョードル。格闘家らしからぬ穏やかな人柄も愛される一因だった
ロシアがウクライナに侵攻を開始して、もうすぐ1年が経とうとしている。ロシアが西側諸国から猛烈に非難される中、ヒョードルはアメリカのケージに入り、同国のベイダーと闘った。映画『ロッキー4/炎の友情』で描かれたドラゴのように、西側ではアメリカ人と戦うロシア人は完全なヒールと見なされる傾向がある。
しかし、引退試合を終えたロシア人ヒョードルに対するレジェンドたちの視線は温かく、リスペクトしか感じられなかった(コールマン、ヘンダーソン、バーネットはアメリカ人だ)。加えて、観客たちのスタンディングオベーション。「スポーツの世界に政治を持ち込んではいけない」という主張もあるが、実際に大きな武力衝突が起こる時代に、スポーツが政治と無関係でいることは不可能に近い。
ナショナリズムを煽る道具になりやすい格闘技であれば、なおさらそうだ。世界のMMAシーンの礎を築いた男は、政治をも超越した存在になったのだろうか。
「ボロボロの柔道衣を買い換えるお金もなかった」
最後まで穏やかだった表情とは裏腹に、ヒョードルの現役生活はまさに波瀾万丈だった。そもそもMMAファイターに転向する以前はロシアでも屈指の柔道家でありサンビスト(サンボは柔道とレスリングを掛け合わせた、旧ソ連生まれの格闘技)だったが、母国の代表として大きな国際大会の舞台に立つことはほとんどなかった。代表決定戦でどんなに優位に試合を進めても、ヒョードルに旗が挙がることはなかったからだ。
当時のロシアでは、主要なクラブに所属する選手が代表として選出されることが当たり前で、ヒョードルのように地方の弱小クラブに所属している選手が実力で代表の座を勝ち取るのは至難の業だった。国の強化指定選手に選出されても経済的な支援はほとんどなく、競技だけで生活することは不可能だった。
それだけではない。社会主義国家体制を敷いていたソ連は1991年に崩壊した。当時ヒョードルはまだ15歳。瞬く間に混乱期を迎えた社会では、力や知恵のある者だけが生き残れた。激動の中、ヒョードルは初恋の人オクサーナと結婚しロシア代表を目指したが、狭いアパートでの新婚生活を余儀なくされる。
かつて彼のコーチは筆者にこんな話を打ち明けてくれた。
「あの頃のヒョードルには、ボロボロになった柔道衣を買い換えるだけのお金もなかった」