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「マフィアに入った弟をボコボコに」引退ヒョードルの“内なる激情”とは? 人類最強と呼ばれた男の逸話「ロシア軍の許せない先輩を…」
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2023/02/12 17:03
PRIDE黄金時代、「人類最強」の名をほしいままにしていたエメリヤーエンコ・ヒョードル。格闘家らしからぬ穏やかな人柄も愛される一因だった
ファイトマネーだけではない。柔道家としてロシア国内の地域格差に泣かされたことも、プロとして大成功を収めた時点で「かつての苦労話」になってしまった。アマチュア時代のヒョードルに不利な判定をした審判たちは、ベルゴロド州のコネのない元代表選手の立身出世をどんな目で見ていたのだろうか。2009年、ヒョードルはテニスのスベトラーナ・クズネツォワとともに、ロシアのベストアスリートに選出された。
2011年にモスクワで行われたジェフ・モンソン戦では、ウラジミール・プーチン首相(当時/現大統領)がリングサイドで観戦する中、勝利を収めた。プーチン大統領にとって“強いロシア”のイメージを植え付けるために、ヒョードルほどうってつけの存在はない。
穏やかな表情の奥に隠された“ヒョードルの激情”
引退後もヒョードルはロシアの象徴であり続けるのか、あるいは……。きわめてデリケートな問題だが、ヒョードルの両親はウクライナ人で、彼自身の出生地もウクライナであることを忘れてはいけない。
私は知っている。ヒョードルの穏やかな表情の奥には爆発的な感情が隠されており、一度スイッチが入ったら誰も止められなくなることを。かつて弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダーがマフィアに入ったときは、足を洗うと約束するまで殴り続けた。また1995年から2年ほどロシア軍に入隊したときには、どうしても許せない先輩に対して激情をぶつけてしまったという(明言はしなかったが、たぶん“やってしまった”のだろう)。そうした逸話は、“もうひとりのヒョードル”がいることを如実に物語っている。
再び訪れた激動の時代をヒョードルはどう生き抜くのか。戦争はまだ終わりそうにない。
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