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堀米雄斗を金メダルに導いた“3人のオヤジ”「雄斗は一番飲み込みが悪かった」「若い奴らには物やお金じゃなくチャンスを与えるのが一番」
posted2023/01/07 11:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Tomonori Taneda
その軽やかなトリックと身のこなし、そしてクールな表情で世間を魅了した初代五輪王者。自由をテーゼとし、育成システムの存在しないスケートボードの世界で、22歳はいかに未知の扉を開け、頂点へ上り詰めていったのか。機会を与え、寄り添い、支えてきた“オヤジ”たちに話を聞いた。
◇◇◇
堀米亮太は荒川沿いをピストバイクで息せき切って走っていた。勝負を仕掛けてきたロードバイクと競り合いながら必死にペダルを踏む。有明のスケートパークでオリンピックの戦いに臨んでいる息子のことはその瞬間、頭から消えていた。
《今回だけはちゃんと観てくださいよ》
大会前にメールを送ってきたのは、高校時代から親交のある日本代表コーチの早川大輔だった。昔から自分が見ていると雄斗の成績が振るわないのがジンクスになっていた。ところが6月の世界選手権では珍しく勝った。だから今回のオリンピックも仕事を休みにして見る気になったのだ。
それなのに……雄斗の予選の滑りはまったく精彩を欠いていた。
「ダメだこりゃ! やっぱり走りに行こう」
そう考えて家を飛び出した。
「雄斗は一番飲み込みが悪かった」
亮太もスケート少年だった。中学時代にスケートボードと出会い、高校時代は地元の埼玉から都内のさまざまなスポットに通った。海外スケーターのビデオを擦り切れるまで見て、草大会ではそれなりの成績を収められる実力があった。
「でもあまり大会って好きじゃなくて、普通にプロの人たちと滑っていたからわざわざ大会に出なくてもいいやと思ってました。自分が始めた場所はスケートボードのホットスポットから少し外れたところにあったので、そういう人たちと知り合えて滑れるだけでもすごいことだったんです」