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M-1はお笑い界のダービーか、有馬記念か? 元騎手見習いの競馬芸人がつづる“光と影”「毎年、M-1後に多くの芸人が解散や引退を…」
text by
松下慎平Shimpei Matsushita
photograph bySankei Shimbun
posted2022/12/18 11:01
筆者にとって忘れがたい思い出となっている2003年のM-1グランプリ。最年少コンビ・りあるキッズの安田善紀(後列右から4人目)は中学校の後輩だった
あの名馬が有馬記念でリベンジしたように
オーストラリアで見た2003年のM-1グランプリの話には続きがある。
母から送られてきたビデオには、有馬記念の映像も録画されていた。2003年はM-1の決勝と有馬記念が同じ12月28日に開催されていたのだ。
1番人気はシンボリクリスエスだった。
彼は前走のジャパンカップに単勝1.9倍の大本命として出走したものの、タップダンスシチーの逃亡劇の前に屈し、10馬身近く離された3着に終わっていた。そして迎えた、引退レースの有馬記念。シンボリクリスエスは敗者として舞台に上がり、勝者として舞台を下りた。2着のリンカーンに9馬身差をつけた圧倒的な強さは今も語り継がれている。
敗者だからこそ勝てた、と言うつもりはない。
だが、「敗北から得られるものなどない」と言うつもりは、それ以上にない。
2003年のM-1で優勝したフットボールアワーさんは、前年2位からのリベンジだった。また2003年に敗者復活から勝ち上がり3位となったアンタッチャブルさんは、翌2004年に優勝を手にする。2007年にはサンドウィッチマンさんが、2015年にはトレンディエンジェルさんが敗者復活から下剋上で優勝を果たした。
M-1の準決勝敗退組にはまだ、勝者になる可能性が残されているのだ。そう、私がバイト中に遭遇した彼にも。
準決勝に届かなかった数多の敗者にも、諦めなければまた来年チャンスがやってくる。そう、こんな私にさえも。
12月18日、今年も漫才の王者を決める勝負の幕が上がる。
1週間後の12月25日には、グランプリホースを決める勝負のゲートが開かれる。
各々が各々のドラマを背負って、舞台に上がる。結果がどうあれ、そこには主役しかいない。
板の上。芝の上。踏みしめる舞台はそれぞれ異なる。だが、その足は間違いなく、遠くまで力強く駆けてきた脚なのだ。
4分、あるいは2分半。
その眩い光を暗闇のなかから目に焼き付けよう。
いつかの勝利を夢見る、ひとりの敗者として。
<前編から続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。