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M-1はお笑い界のダービーか、有馬記念か? 元騎手見習いの競馬芸人がつづる“光と影”「毎年、M-1後に多くの芸人が解散や引退を…」
text by
松下慎平Shimpei Matsushita
photograph bySankei Shimbun
posted2022/12/18 11:01
筆者にとって忘れがたい思い出となっている2003年のM-1グランプリ。最年少コンビ・りあるキッズの安田善紀(後列右から4人目)は中学校の後輩だった
もっと言ってしまえば、私も含め多くの芸人が憧れてやまない決勝の舞台も、その先のテレビスターを目指す野心に満ちた芸人にとっては、弥生賞やチューリップ賞のようなトライアルレースのひとつでしかない、と考えることもできるだろう。
なにも、輝かしい未来を夢見る芸人ばかりがM-1に出場するわけではない。M-1の舞台が、3歳馬にとっての「夏の未勝利戦」となる場合もある。崖っぷち。生き残りをかけた正念場。彼や彼女にとってM-1は最後のチャンスであり、ほとんどの場合けじめの場となる。毎年M-1終わりのタイミングで、多くの芸人が解散や引退を決意する。今年のM-1で○回戦までいけなければ解散。そう決めて舞台に上がる芸人をたくさん見てきた。
しかし、1回戦や2回戦は観客もまばらで、わかりやすいウケなんてあってないようなもの。ネタを終えると、もうすることがない。なんの手応えもないまま結果が出るまで、写真判定を待つような気持ちでただただ祈る。ウオッカとダイワスカーレットが死闘を演じた2008年の天皇賞・秋、あの13分にわたる写真判定も、考えようによっては短いものだ。我々は芸人として生きるか死ぬかの写真判定を、半日以上待つことだってあるのだから。
M-1が描き出す光と影のコントラスト
年の瀬だというのに、景気の悪い話になってしまった。ただ、光があれば影だって確実に存在する。そもそも私自身、こうして影の中から声を上げているのだ。今年も結果を残すことはできなかった。一方で、大阪時代から知る彼らや、東京の劇場の隅で見かけた彼女たち、そして元相方が結成したコンビは、あの華やかな決勝に進んでいる。もう出口が見えないくらいあたり一面が真っ暗で、どこを目指して走っているのかもわからない。そんな芸人も掃いて捨てるほど存在するのだから、影の暗さと広さに関しては、競馬の世界に負けず劣らず厳しい世界である。
これ以上深掘りすると、影のなかから永遠に戻ってこられない気がするので、広げた風呂敷を畳むことにしよう。綺麗に畳めそうにないのは、ご愛嬌にしておいてほしい。
M-1を競馬に置き換えて考えてみたとき、芸人にとってそれはダービーであり、有馬記念であり、新馬戦でもあり、未勝利戦でさえある。そしてそこは、芸人人生のゲートでもあるし、苦しい坂の続く道中でもある。もちろん、栄光と挫折のゴールにも違いない。