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M-1はお笑い界のダービーか、有馬記念か? 元騎手見習いの競馬芸人がつづる“光と影”「毎年、M-1後に多くの芸人が解散や引退を…」
posted2022/12/18 11:01
text by
松下慎平Shimpei Matsushita
photograph by
Sankei Shimbun
今年で18回目を迎えるM-1グランプリ。私にとって一番印象深いのは、フットボールアワーさんが優勝した2003年の第3回大会である。だがそれは、2003年のM-1が歴代で一番素晴らしかったから、というわけではない。
私はその年のM-1を、日本から遠く離れた異国の地、オーストラリアで見た。
異国で見た“中学の後輩”りあるキッズの勇姿
当時、私は騎手を夢見てゴールドコーストの競馬学校に通っていた。日本から競馬番組や、流行りのドラマを録画したビデオテープを母に頼んで送ってもらっており、その中に2003年のM-1の映像も含まれていた。それを私が母にリクエストしたのには理由があった。決勝に進んだ最年少コンビ・りあるキッズの安田善紀さんが、中学校の1年後輩だったのだ。
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安田さんはとある番組で、「未来のダウンタウン」として11歳で世間の脚光を浴びた。そんな人物が同じ中学校に入学してくることになり、「芸能人がやってくる」と校内は色めき立った。残念ながら在学中に彼と話すことはなかったが、卒業後も特別な存在としてずっと記憶に残っていた。
そんな中学校の後輩(後に芸人として私の先輩になるとは知る由もない)にして、地元・奈良のスターの晴れ舞台である。私は日本人5人でルームシェアしていたゴールドコーストの一軒家のリビングで、そのビデオを観ながら「この人、俺の後輩やねん」と自慢げに話したのだった。りあるキッズは健闘するも力及ばず優勝こそ逃したが、彼らの勇姿を大笑いで見るルームメイトの姿は私の胸を熱くさせた。
フットボールアワーさんが前年2位の悔しさを晴らし、優勝した姿を見届けた後、リビングではホースマンを夢見る若者たちによる熱い議論が交わされた。それは、M-1グランプリという大会を競馬に置き換えたとき、どのレースがもっとも適当であるかという議論であった。その詳細を思い出すことはできないが、具体的な結論が最後まで出なかったことは覚えている。
M-1決勝を目前に控えた今、あの日の議論の続きを、競馬の知識と芸人としての経験を積み重ねた身の上で再び考えてみたい。