酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
〈オリックス日本一と御堂筋パレード〉“道頓堀ダイブ”の阪神もやったけど…昔は“ノムさんが主力・南海ホークスが本家”だったワケ
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama/JIJI PRESS
posted2022/11/01 06:01
26年ぶりの日本一となったオリックス。御堂筋パレードが予定されている
彼らヤクルトファンはそろって小さな傘を忍ばせて、いそいそと球場にやって来る。そして得点が入ったときと7回に、バッグから傘を出して嬉しそうに振るのだ。
いつだったか「日本の野球が見たい」という外国人を神宮に案内したことがあったが、点が入って球場全体に傘の花が咲くと、驚きのあまり、座席から転げ落ちた。彼は「何かの革命が起きたのかと思った」と言ったが、「驚いて腰を抜かす」って本当にあるのだ、と思った。ヤクルトファンは同じ東京でも巨人ファンとは違う文化を醸成したのだなと思う。
その点は、オリックスも同じ。
今年、大阪の道頓堀では「オリックスが日本一になって、道頓堀に飛び込んではいけないから」と警察が警戒しているとのニュースがあったが、SNSでは「そんなやつはおらんやろ」との言葉が飛び交っている。リーグ優勝の時も警察が配備されていたが、閑散としていたとのことだ。
他の地方の人は「関西・大阪」と言えば「阪神タイガースと吉本興業」一色だと思っているのかもしれないが、そうではない文化も根付いている。オリックスファンは勝っても大騒ぎせず「良かったな」と言いながら家路につく、つつましい人が多い。
半世紀前、初めてパレードしたのは南海だった
ところで、日本一になったオリックス・バファローズ(ちなみに球団名に『・』が入るのはオリックスだけ。球団関係者からは「うちは中黒ありますよ」とよく念押しされる)に待ち受けているのは「御堂筋パレード」の問題だ。
昨年のオリックスの開幕戦で、大阪市の松井一郎市長が「御堂筋空けて待ってますから、パレードしてください」と言った。前年、オリックスは最下位だったから「そんなことあるはずないやろ」という気持ちでサービストークをしたのかもしれないが、昨年、オリックスはリーグ優勝。コロナ禍ということもあってパレードは実施されなかったが、松井市長は少し慌てたのではないか。
御堂筋は大阪のキタとミナミをつなぐ全長4キロ、道幅40m余のメインストリートである。北御堂、南御堂という浄土真宗系の大寺院が並んでいることから「御堂筋」と名付けられた。
プロ野球チームで初めて「御堂筋パレード」をしたのは、1959年の南海ホークスだ。
2リーグ分立後、南海は西鉄ライオンズと毎年のように優勝争いを繰り広げていた。しかし日本シリーズでは何度も苦杯をなめさせられ、日本一になったことがなかった。
MVPは杉浦で正捕手は野村、「ドン」こと鶴岡監督
1959年も巨人と日本シリーズで対戦すると、南海が4連勝で巨人を下し、初の日本一となった。エースの杉浦忠が4連勝。捕手は野村克也、そして監督は「ドン」こと鶴岡一人だった。
鶴岡監督は、2リーグ分立の1950年以降4回リーグ優勝をしたがいずれも巨人に敗れていた。巨人を破って宿願の「日本一」になって男子の本懐を遂げた思いだった。鶴岡一人の自伝のタイトルが『御堂筋の凱歌』であることを見ても、この年の御堂筋パレードが大監督の人生のハイライトだったことがわかる。さらに沿道には20万人もの人出があったという。
その後、プロ野球チームの御堂筋パレードは長く行われなかった。鶴岡一人、野村克也監督の時代を経て南海ホークスが弱くなったことが大きい。