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サッカーの深淵を垣間見た82年スペイン大会と、86年メキシコ大会のスタジアムで目撃したマラドーナの奇跡
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byGetty Images
posted2022/10/24 11:00
決勝で西ドイツを下し、世界王者となってトロフィーを掲げる1986年のマラドーナ。選手として絶頂期で最優秀選手に選出された
だから、82年のスペイン・ワールドカップは、わたしにとって、実質的には初めてと言えるワールドカップ体験だった。
1次リーグのブラジル対ソ連戦。ソクラテスの同点ミドルとエデルの逆転ドライブ。この1試合だけで、78年大会のどの試合よりもスリリングだった。78年大会のどんなチームよりも、黄金のカルテットは魅力的だった。彼ら以外に黄金のトロフィーを手にするチームがあるとは、とても思えなかった。
だが、そんなチームを、イタリアのパオロ・ロッシが一人で葬り去った。
青いユニフォームを着た選手たちの中に、ジーコを越える輝きを放つ選手は一人もいなかった。ジュニオールの勇敢さも、エデルの強引さもなかった。
それでも、たった一人のストライカーがすべてを覆すことがある。
あの試合で、わたしは初めてワールドカップの、いや、サッカーの深淵を垣間見た。
高校3年生の決意
寝ぼけ眼の試合翌日だったか、それとももうしばらく経ってからだったか。いつしか、わたしは自分自身に誓っていた。固く固く、誓っていた。優柔不断で場当たり的な自分の性格からして、時間が経つと「やっぱり無理だわ」という気持ちが沸き上がってきてしまいそうだったので、引っ込みがつかなくなるよう友人たちに宣言した。
俺、コロンビアに行くわ。
サッカー選手としての自分に何の未来も可能性もないことは、もうわかっていた。人間として、社会人としての可能性も、5人のうち2人が東大に進むとかいう超進学校に通う弟にかないそうもない。だったら、やりたいことをやる。見たいものを見る。そのために、次のワールドカップが行なわれるコロンビアに行く。
そう決めて、高校3年生の秋、『サッカーマガジン』が募集した日本交通公社のワールドカップ観戦ツアーに申し込んだ。オプションにオプションをつけまくって、開幕から決勝まで観戦する日程を組んでもらった。
申し込みからしばらく経って、コロンビアが経済的理由からワールドカップ開催を返上し、メキシコでの開催が決まったことで、よりテンションは跳ね上がっていた。コロンビアがどんな国だかは知らないが、メキシコに「エスタディオ・アステカ」があることは知っている。
ジャンニ・リベラが吠え、肩を脱臼したフランツ・ベッケンバウアーがそれでもプレーを続けた伝説の試合、70年のイタリア対西ドイツが行なわれた舞台だ。収容人員が10万人を越えるという世界屈指の巨大スタジアム。自分がそんな場所に足を踏み入れられることが、信じられなかった。学生からすると目が眩むようなツアー料金も、まったく問題にならなかった。
総額、確か160万円ぐらい。1ドルが240円程度という時代だった。