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サッカーの深淵を垣間見た82年スペイン大会と、86年メキシコ大会のスタジアムで目撃したマラドーナの奇跡
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byGetty Images
posted2022/10/24 11:00
決勝で西ドイツを下し、世界王者となってトロフィーを掲げる1986年のマラドーナ。選手として絶頂期で最優秀選手に選出された
アステカからの帰り道、わたしたちの乗ったフォルクスワーゲンのミニバスは興奮した群衆によってひっくり返された。わたしたちだけではない。そこかしこで、渋滞中のクルマがお腹を見せていた。生まれて初めて体験したクルマに乗ったままの全回転。運転手さんとガイドさんは激怒していたが、わたしたちツアー参加者はみんな笑っていた。大笑いしながら、これまた笑顔の暴徒たちとクルマを元に戻し、何事もなかったかのようにホテルに戻った。もちろん、ケガ人は一人もいなかった。
……とまあ、振り返っていけばキリがない。ここのところすっかり記憶力が衰えてきたが、メキシコの思い出だけは、どういうわけか色あせる気配がない。
ただ、圧倒的に特別なのが、6月22日の記憶である。
初めて足を踏み入れた時は全身が震えるほど感動したアステカも、4回目、5回目ともなるとさすがに飽きるというか、新鮮さが薄れてきた。試合のカードは変われども、座る席はいつも一緒。お隣に座るウルグアイ人の老夫婦とも、すっかり顔なじみになってしまった。
だから、だったのだろう。あの日、わたしは思い切った行動に出た。スタジアムの周辺でダフ屋さんをつかまえ、自分が持っているチケットと、もうちょっと高いチケットとの物々(+多少の現金)交換を試みたのだ。結果、それまでピッチを上から見下ろす席からしか見たことがなかったわたしは、アルゼンチン対イングランドの準々決勝を、金網にかじりつき、はるか高みにあるいつもの席を見上げる場所から観戦することになった。
アステカの奇跡
そこで、あの奇跡が起きたのだ。
ウルグアイやスコットランドが戦ったエスタディオ・ネサに比べればずいぶんと遠い、けれどいつもの席からすれば手が届きそうに感じられる距離を、マラドーナが泳いで行った。サッカーを語る上であまり適切な表現でないことは認めるが、それ以外、あのときのマラドーナを表現する言葉がわたしにはない。宇宙船にもたとえられたアステカの空間を、青と白の背番号10が優雅に泳いでいた。
そして、すべてが爆発した。
アルゼンチンの喜びが爆発し、アステカの観衆が爆発し、何より、わたしの中にある何かが爆発した。言葉にならない絶叫がほとばしり、誰彼構わず周囲の人たちに抱きつきまくった。一瞬遅れて、結構な量の雨も落ちてきた……と思ったら、ビールだった。2階席、3階席、4階席のお客さんが、興奮して持っていたカップを放り投げたのだろう。ただ、わたしはまったく気にしなかったし、それは、周囲のお客さんも同じだった。