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サッカーの深淵を垣間見た82年スペイン大会と、86年メキシコ大会のスタジアムで目撃したマラドーナの奇跡 

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金子達仁

金子達仁Tatsuhito Kaneko

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photograph byGetty Images

posted2022/10/24 11:00

サッカーの深淵を垣間見た82年スペイン大会と、86年メキシコ大会のスタジアムで目撃したマラドーナの奇跡<Number Web> photograph by Getty Images

決勝で西ドイツを下し、世界王者となってトロフィーを掲げる1986年のマラドーナ。選手として絶頂期で最優秀選手に選出された

 なので、大学にはせいぜい月に1度ぐらいしか行かなかった。夕方から明け方まではファミレスで働き、昼間の空いている時間はバイク便をやった。夏休み、冬休みは稼ぎのいいリゾートバイトに精を出した。清里のレストランで働いていた時、突然オーナーから「とにかくおにぎりを握りまくれ。300個ぐらい握れ」と命じられ、数時間後、それがすべて売り切れたこともあった。85年8月12日。塩をまぶしただけの不格好なおにぎりを買い占めていったのは、御巣鷹の尾根に向かう報道陣だった。

 その約1カ月後、メキシコ・シティはマグニチュード7.5を越える巨大地震に襲われ、1万人近い死者を出す。普通であれば、開催を危ぶむ……というか、「それどころじゃねーだろ」と開催反対の声があがるところだが、メキシコ政府は即座に返上を否定し、わたしも予定通りの開催をまったく疑わなかった。いまから思えば、どちらもだいぶイカれている。

 大学3年生になってからは、毎日が正月を待ちわびる小学生のようだった。

 もういくつ寝ると──。

メキシコ・シティの記憶

 ロサンゼルスを経由して、メキシコ・シティに到着したのは、確か、5月29日の夜だったと思う。

 開幕の2日前。着陸時に窓から見えた夜景がこの世のものと思えないほどに美しかったこと、昂りに昂った気持ちが、ホテルに到着した途端にいささか萎えたことはよく覚えている。日本交通公社が用意していたのは、天井に鏡があり、ベッドが丸いホテルだった。そこに、部活を休んでツアーに参加したという立正大学サッカー部4年生の方と一緒に寝ることになった。ラブホテルに男2人で1カ月。

 丸いベッドに2人で横になってテレビをつけたら、ニッサンのコマーシャルをやっていた。「サクラ・デ・ニッサン!」。メキシコではシルビアがサクラという名前で売られていることを知った。

 それからの1カ月間は……もう30年以上昔のことだというのに、鮮明な記憶がいくつも残っている。

 アステカでの開幕戦。イタリア対ブルガリア。ビルの屋上から地上を見下ろすような視界に驚愕し、初めて見る生のアズーリの、目を射抜くような美しさに言葉を失った。

 エスタディオ・オリンピコでのアルゼンチン対韓国。最終予選で日本を圧倒した韓国が、無残なまでに蹂躙されていた。付近のメキシコ人から嘲笑うかのように「コレア、コレア」と声をかけられ、そのたびに「ノー・ハポネス!」と言い返したことを思い出す。

 開催国メキシコの初戦はベルギーだった。10万人が奏でる「メヒコ、メヒコ、ラ、ラ、ラ!」の大合唱。国民的英雄ウーゴ・サンチェスのゴール。

【次ページ】 アステカの奇跡

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