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サッカーの深淵を垣間見た82年スペイン大会と、86年メキシコ大会のスタジアムで目撃したマラドーナの奇跡
posted2022/10/24 11:00
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
Getty Images
調べてみるとキックオフ時間は17時15分だったようだから、日本は0時15分だったことになる。もっととんでもなく深い、明け方3時ぐらいの試合開始だった印象があるから、ちょっと驚いた。死ぬほど眠い目をこすりながら見始めて、いつの間にか涙が流れていて、気がついたら顔だけでなく全身が汗でビショビショで、慌ててシャワーだけ浴びて学校に行った──そんな記憶があるのだが、どうやら、自分で自分にバイアスをかけてしまっていたらしい。
それが、82年スペイン・ワールドカップのイタリア対ブラジルだった。
翌朝、ヘロヘロになって辿り着いた学校で、サッカー部の仲間と交わした会話はいまでもよく覚えている。
「見た?」
「見た!」
「泣いた?」
「泣いた!」
わたしだけではなかった。一人だけでもなかった。何人ものサッカー部の仲間が、こらえきれずに涙を流したことを告白した。涙腺を破壊する引き金となったのは、ブラジルが2-2に追いつくゴールを決めたパウロ・ロベルト・ファルカンの、狂気さえ感じさせるガッツポーズだった。
あのとき、わたしは、わたしたちは、初めて知ったのだ。
こんなにも凄まじいドラマがある。
こんなにも美しい試合がある。
ワールドカップとは、かくも荘厳で勇壮なものなのだ、と。
サッカーの深淵を見た82年スペイン大会
4年前のアルゼンチン大会も、忘れられない大会ではあった。ただ、いまになって振り返ってみると、あの大会で一番強く印象に残っているのは、視界を遮るほどの濃度で舞う白い紙吹雪であり、その中を疾走するアルゼンチン代表マリオ・ケンペスの雄姿であり、黄金のカップを掲げるダニエル・パサレラの歓喜だった。
どれもサッカーにとって、ワールドカップの歴史にとって極めて大切な要素ではあるものの、サッカーそのもの、ではなかった。後に大会すべての試合をビデオで見返してみて、70年や74年のワールドカップを知る人たちがアルゼンチン大会を酷評する理由が少しわかった。
70年にはイタリア対西ドイツの4-3という伝説的な死闘があった。74年にはトータルフットボールがブラジルの魔術師たちを粉砕するドルトムントの衝撃があった。
アルゼンチン大会には、なかった。名勝負が、伝説が、なかった。