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サッカーの深淵を垣間見た82年スペイン大会と、86年メキシコ大会のスタジアムで目撃したマラドーナの奇跡
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byGetty Images
posted2022/10/24 11:00
決勝で西ドイツを下し、世界王者となってトロフィーを掲げる1986年のマラドーナ。選手として絶頂期で最優秀選手に選出された
ご存じの通り、この試合ではもう一つ、伝説的な事件が起きていた(いわゆる「神の手」というやつだ)。もっとも、そのことをわたしが知ったのは、日本に帰国し、『サッカーマガジン』の増刊号を開いてから、だった。
当時のアステカにオーロラビジョンはなかった。少なくともわたしが観戦していたエリアでは、誰もマラドーナのハンドに気付いていなかったし、当時のわたしが知っていたスペイン語と言えば、ハポネス(日本人)、セルベッサ(ビール)、ポルファボール(お願いします)、グラシアス(ありがとう)ぐらいなもので、マノ(手)というボキャブラリーは所有していなかった。よって、テレビを見ても、新聞を見ても、何が起きたのかさっぱりわからずにいた、というわけである。
こうやって昔話を書いていると、いま自分が存在している時代、空間が果たして現実のものなのか、疑わしい気分にさえなってくる。
というのも、86年7月のわたしがこんなことを言われたら、絶対に信じなかったという自信があるからだ。
あの夏から40年
1年後、入社試験でマラドーナの5人抜きを体験したときの感動を書いたわたしは、専門誌にもぐり込むことに成功する。
いずれ日本にもプロ・リーグが誕生し、ジーコやリネカーといったスーパースターが日本のピッチに立つ。
日本が12年後のフランス・ワールドカップに出場し、パサレラ監督率いるアルゼンチンと初戦を戦う。
22年のワールドカップはカタールで開催され、7大会連続出場となる日本は、統一されたドイツ、世界王者となった経験のあるスペインと同じグループに入る。
信じられるはずが、ない。
4年後となる26年、ワールドカップは三度アステカを舞台とすることが決まっているが、アメリカ、カナダとともに迎え入れる出場国は48カ国になる、だなんて。
日本では冬でも緑の芝生は育たない、と言われた時代があった。
サッカーは日本人の国民性に合わない、と断言する文化人もいた。
携帯電話はもちろん、パソコンすら一般的にはなっていない時代だった。記者席で活躍するのは鉛筆か、タイプライターだった。
気がつけば汗だくになっていたイタリア対ブラジル戦があった82年の夏、我が家にはまだエアコンがなかった。
信じられるはずが、ない。