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<事故死から15年>32歳で早逝…天才ライダー・阿部典史が1996年日本GPで見せた歴史的優勝への独走、鈴鹿の全観客が祈った「ノリック、転ぶな!」
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![小堀隆司](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byMasato Daito
posted2022/10/07 17:04
![<事故死から15年>32歳で早逝…天才ライダー・阿部典史が1996年日本GPで見せた歴史的優勝への独走、鈴鹿の全観客が祈った「ノリック、転ぶな!」<Number Web> photograph by Masato Daito](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/d/b/700/img_db61dd251833ffeb48d5e83fc760eda7294655.jpg)
1996年日本GPで優勝を成し遂げたノリック。15年前の10月7日に亡くなった伝説的なライダーが鈴鹿を熱狂させた2つのレースを振り返る
4周目で「アイツ、本物だよ」と鈴鹿を騒然とさせた。
無印の新人が注目されるには実力を見せつけるしかない。並大抵のパフォーマンスでは、自分の居場所を作ることはできないだろう。ゼッケン56番が見せた予選7番手からのロケットスタートは、そんな気迫の表れだった。
1周目を終えて4番手。始めから全開のノリックは、背筋の伸びた前乗りの特徴的なライディングフォームで強引に攻め続ける。
ゼッケン1番のシュワンツを後ろに従えた4周目、1コーナーの飛び込みでドゥーハンを差し、2番手に上がったノリックの走りにサーキットは騒然となる。
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あいつ、本物だよ。
ダイヤの原石とは聞いていたが、ここまで光るものを持っていたとは驚きだった。経歴を深く知れば、さもありなんと思う。
オートレースの選手で賞金王にもなった父のもと、幼少のころからバイクに親しんだ。15歳で渡米すると、カリフォルニア・ローダイでダートトラックとモトクロスに打ち込んだ。日本人離れしたスライドコントロールはこのとき身につけたものだ。
ほとんど曲芸の世界ですよね
自身も国際A級ライセンスを持ち、鈴鹿8耐などの出場経験もある遠藤の目に、ノリックの走りはどう見えていたのか。
「あの時代、ドゥーハンに憧れるライダーはたくさんいたけど、その真似ができる日本人選手はいなかった。だけどノリは、積極的に後輪を滑らせてコーナーにアプローチしていく。ほとんど曲芸の世界ですよね」
当時のマシンはコンピュータが制御する領域がまだ狭く、特に500ccはライダーが腕でねじ伏せて乗る乗り物だった。ワークス勢が日進月歩でマシンを進化させるなか、ノリックはホンダのサテライトチームから'93年型のNSR500を駆ってレースに臨んでいた。