15年前の2007年10月7日、交通事故により32歳でこの世を去った“ノリック”こと、阿部典史。
1990年代半ば、ノリックは紛れもなくレース界のスーパースターだった。ファンに驚きと感動をもたらした'94年と'96年の鈴鹿のレースを関係者の証言とともに再現する。
1990年代半ば、ノリックは紛れもなくレース界のスーパースターだった。ファンに驚きと感動をもたらした'94年と'96年の鈴鹿のレースを関係者の証言とともに再現する。
彼はなぜファンの支持を一身に集め、時代の寵児となり得たのか
空前にして、絶後――。
国内で開催されたグランプリ最高峰クラスのレースで、観客が総立ちになって拳を突き上げるなど、後にも先にも見たことがない。視線を一点に集めた先に、ヘルメットから後ろ髪をなびかせた日本人ライダーがいた。
ノリックこと、阿部典史。
'90年代のバイクシーンを、熱狂の色に染めた一人だ。とりわけ'94年と'96年の日本グランプリは、ノリックの、ノリックによる、ノリックのためのレースだった。
彼はなぜファンの支持を一身に集め、時代の寵児となり得たのか。
まずは、'94年4月24日の鈴鹿サーキットに時を移してみたい。ロードレース世界選手権の最高峰500ccクラス、世界デビュー戦となったレースで、弱冠18歳のノリックは大げさではなく進退を賭けていた。
型落ちのバイクで繰り広げた最強のライダー達との熾烈なバトル。
「あれは世界中に衝撃を与えたんですよ」
柔らかな口調で、モータースポーツジャーナリストの遠藤智が記憶の糸をたどる。
「ワイルドカードで走って、ミック・ドゥーハンやケビン・シュワンツといった最強のライダーと熾烈なバトルを繰り広げた。あの2人の前を日本人ライダーが走るなんて誰が予想できたか。ましてやノリのバイクは型落ちだったんですよ」
ノリックは前年に全日本の500ccクラスを史上最年少で制覇しており、日本GPには開催地枠でのスポット参戦が認められていた。すでにバブルは弾け、国内のレース環境はじり貧に。ノリックのチャンピオン獲得を最後に同クラスは廃止され、500ccのライダーは国内で戦う場所を失っていた。
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