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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
100人のガードマン、猟銃も忍ばせ…アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリー「史上最も殺気に満ちた格闘技戦」の物騒で不透明な結末
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph bySankei Shinbun
posted2022/10/03 17:02
80年2月27日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムス
プロレスと極真空手の“頂上対決”
そして運命のゴング。試合は「寝技は5秒以内」という猪木に不利なルールが課せられたこともあり、豪快な蹴りや突きを繰り出していくウィリー優勢で進んでいく。2ラウンドに一度、両者リングアウトの裁定が下るが、立会人である梶原一騎の裁量で延長戦に突入。そして第4ラウンド、リング上だけでなく、リング外で双方のセコンドが入り乱れた乱闘が起こる中、最後は猪木が場外で腕ひしぎ十字固めたまま試合終了。猪木は肋骨にヒビが入り、ウィリーは腕十字で右ヒジの腱を痛めたことによる両者ドクターストップの引き分けとなった。あまりにも両陣営が熱くなりすぎた“戦争”を終わらせるには、こういう落としどころしかなかったのだろう。
「試合後、私は新日側の代表として向こうの控え室に挨拶に行ったんだが、もの凄く殺気立っていたんだよ。私は袋だたきにされるんじゃないかと思ったら、次の瞬間、いきなり添野さんにヒザ蹴りを入れられて倒れてしまった。すると添野さんは私に覆い被さりながら小声で『新間さん、立つな』と言って、そのあと『新間をやってやったぞ! おまえたちはもう手を出すな!』って、その場を鎮めたんだ。添野さんもプロだったね(笑)」
こうして結局、決着はつかなかったプロレスと極真空手の頂上対決。このような不透明な結末は、いまのファンが観たらナンセンスに思うかもしれない。しかし、プロレスも格闘技もすべてスポーツライクになってしまったいま、あの物騒な緊張感をたまらなく懐かしく感じてしまう筆者の気持ちを昭和のプロレスファンならわかってくれるだろう。
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