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100人のガードマン、猟銃も忍ばせ…アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリー「史上最も殺気に満ちた格闘技戦」の物騒で不透明な結末 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph bySankei Shinbun

posted2022/10/03 17:02

100人のガードマン、猟銃も忍ばせ…アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリー「史上最も殺気に満ちた格闘技戦」の物騒で不透明な結末<Number Web> photograph by Sankei Shinbun

80年2月27日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムス

100人のガードマンを雇った
史上最も殺気に満ちた格闘技戦

 こうしてウィリーが極真を破門、大山茂支部長は禁足処分となりながら、猪木vsウィリー戦は正式決定。しかし、ウィリーが破門となりながらも、事実上のプロレスvs極真頂上対決であることには変わりはなく、一部の極真門下生たちがついに過激な行動を見せ始めてしまう。

「新日本の巡業地に極真が殴り込みに来るとか、そういう脅迫電話がじゃんじゃんかかってきましたよ。またプロレスファンも熱くなって、黒崎道場の看板が壊されたりしたようだね」

 猪木vsウィリー戦は試合前から、アントニオ猪木と大山倍達を“教祖”とあがめる狂信的な“信者”たちが暴走し始める、宗教戦争のようなかたちとなったのだ。

「だから一番心配したのは、試合場でファン同士がぶつかって事件が起こることですよ。試合前には蔵前署に何度も呼ばれて、警察官40人だけじゃ足りないということで、100人のガードマンを雇ってね。凶器を持ち込ませないように、金属探知機を導入しようなんていう話になったり。とにかく凄まじい雰囲気だったね」

 80年2月27日、ついに迎えた猪木vsウィリー当日。異様な雰囲気に包まれる蔵前国技館。ウィリー側は“極真の猛虎”添野義二が100人を超える門下生を引き連れて現れ、猪木側も新日本プロレス精鋭に加え、猪木と親交のあった名古屋の空手団体「寛水流」の面々も脇を固めた。寛水流の人間の中には、いざという時のために猟銃まで持ってきていたというのだから恐ろしい。

【次ページ】 プロレスと極真空手の“頂上対決”

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