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里見香奈女流五冠「初の女性棋士」条件は“残り3戦で3勝”… なぜ将棋界は「四段昇段=プロ認定」なのか〈田丸昇九段が解説〉
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2022/09/29 11:02
「プロ編入試験」第2局に敗れた里見香奈女流五冠
その一方で、囲碁団体の日本棋院は9月13日、女子小学生の柳原咲輝さん(11)のプロ入り(初段に認定)を発表した。ある囲碁世界戦の年少の部(12歳以下)で準優勝した実績を評価し、通常のプロ試験を経ないで推薦採用したという。
同じような例では、2019年に女子小学生の中邑菫さん(現二段=13)が「英才特別採用推薦棋士」としてプロ入りした。
私は、将来的に見込みがある年少者に、プロ資格を与える囲碁界の柔軟な制度に賛同したいと思う。
将棋界と囲碁界の制度上の違いとは何か
一方で将棋界は、女流棋士として20年近いキャリアがある第一人者で、プロ公式戦で一定期間に好成績を収めた里見女流五冠が、プロ棋士になっていないのが現実だ。囲碁界とは大きなギャップがある。私見では、前記の好成績を収めた時点で、プロ編入試験を経ないでプロ棋士に認定してもいいのでは、と思っている。
囲碁界と将棋界の制度上の決定的な違いとは何か。前者は初段から、後者は四段からプロ棋士に認定することにある。
そこで、将棋界の棋士認定の経緯を振り返ってみる。
大正から昭和初期の時代は、初段に昇段すると一人前の棋士として扱われ、公式戦に出場して対局料を得ることができた。
鬼才と呼ばれた升田幸三実力制第四代名人についてのある評伝には、次のような内容の記述がある。
《昭和9年(1934)2月、升田は師匠の木見金治郎八段に呼ばれて1枚の紙を渡された。それは対局通知で、「中国民報勝継戦・飯塚勘一郎六段(角落)−升田幸三初段」と記されている。升田は師匠に「お前は今日から初段だ」と言われ、こんなにうれしかったことはない、と述懐している。念願の専門棋士になれたのだ》
昭和初頭に開かれた「手合会」が「奨励会」の始まり
昔は、師匠や派閥の重鎮が段級の査定をしていた。
しかし、関東は昭和3年から、関西は昭和10年から、棋士の弟子(6級から三段まで)を集めた「手合会」が開かれ、現行の棋士養成機関である「奨励会」の始まりとなった。
その制度にともない、奨励会で四段に昇段すると、棋士と認定することになったようだ。それが現代に引き継がれている。
なお、升田は強すぎて関西の奨励会に入れなかった。公式戦で好成績を収めて、初段から四段まで2年で昇段した。