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「誰にも手出しできないようなコンビになってます」栗田徹調教師が語る“タイトルホルダー&横山和生”が「阿吽の呼吸」になるまで
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byphotostud
posted2022/10/02 11:01
6月の宝塚記念を制し、凱旋門賞挑戦を決めたタイトルホルダー。栗田徹調教師に出会いから凱旋門賞に挑戦するまでの話を聞いた
栗田 きゃしゃというか、繊細な部分がある馬でした。足元がまだ弱い部分があり、ダートを使ったりして初勝利を挙げて、大事に使っているなという印象で。最終的には芝2600mのオープン戦(2012年丹頂S)を勝つのですが、若い時はじっくり使って徐々に力をつけてほしいという方針だったと思います。
――メーヴェを管理している当時、栗田さんは調教師試験に合格し、新しく厩舎を開業しました。そもそも義父の厩舎でお仕事を始め、調教師を目指したきっかけはなんだったのでしょうか?
栗田 大学時代、日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)の馬術部にいたので、JRAの馬術の総合職の試験を受けたんですけど、不合格となりまして。それでも馬に関する仕事をしたいという気持ちは変わらず、身の回りに競馬に関わっている人も多かったので、競馬の仕事が頭に浮かび、馬術部の監督に「馬の仕事をしたい」と相談して、ノーザンファームで2年間で働かせてもらいました。その後美浦に来て、萩原清厩舎で1カ月厩務員として働いた後に、父の厩舎で調教助手として働くこととなり……という流れになります。働いていく中で、自然と厩舎のトップに立ってみたいと目指した感じでしたね。
婿入りの経緯
――同時に栗田家に婿入りする形になりました。いつ奥さまと出会われたのでしょうか?
栗田 大学の馬術部の時に彼女は獣医として診察に来ていたりしていて、そこで出会いました。自分が4年生で彼女が6年生と卒業が同じタイミングでした。父の厩舎に入るのももちろん彼女との縁によって。厩舎に入るタイミングですぐ結婚して、それまで佐藤だった姓も栗田に変えました。
――ご実家から反発はありませんでしたか?
栗田 僕が次男だったのと栗田家は娘が2人だったのもありますし、「好きなことをやりなさい」という親だったので。親は馬には関わりはないんですけど、僕が高校時代から馬術部で馬に没頭していて、そういう姿を見て背中を押してくれたのだと思います。
母と似ているのは…
――調教師となり、厩舎を率いることになってからの目標は?
栗田 開業した時はもちろんダービーとか漠然と考えたりはしました。ただ、日々やっていく中で、簡単に言えるものではないというのももちろんわかってきて。勝ちたいレースもいっぱいあるんですけど、「このレース」と決めちゃうとそれだけを目指すようになってしまうので、今は考えていません。全体としてはオーナーからお預かりした馬を通じて、スタッフ、ファンがみんな幸せになること。それでしか自分たちの仕事は成り立たないので、そういった思いで取り組んできました。
――タイトルホルダーはその思いを体現するように、宝塚記念のファン投票では1位となり、凱旋門賞を出走するまでになりました。栗田厩舎に初めて来た時の印象を聞かせてください。