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「真剣師のプロ希望に賛否両論」田丸昇九段が見た“新宿の殺し屋”伝説…羽生善治9歳が記録係、A級棋士との“事件”が起きた対局とは 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKyodo News

posted2022/08/30 11:00

「真剣師のプロ希望に賛否両論」田丸昇九段が見た“新宿の殺し屋”伝説…羽生善治9歳が記録係、A級棋士との“事件”が起きた対局とは<Number Web> photograph by Kyodo News

「真剣師」として将棋界に衝撃を与えた小池重明。棋士視点から見て、どのような人物だったのか

 小池は「日本一の真剣師」よりも「日本一のアマ強豪」になるべきだと周囲に説得され、1980年の全日本アマ名人戦の予選に参加した。当時は小平市に住んでいて、東京都下大会に出場した(代表枠は1人)。大会は7月に八王子市で3日間にわたって行われ、小池は勝ち抜いて決勝に進出した。その対局で記録係を務めたのが9歳の羽生善治だったという。

当時の羽生は振り飛車をたまに指していた

 羽生は7歳の頃から地元の八王子将棋クラブに通って腕を上げ、1980年7月に三段に昇段した。同年のアマ名人戦・東京都下大会に初めて出場すると、1日目の予選で2敗して失格した。3日目も会場にいたので、決勝の記録係を頼まれたようだ。

 羽生は当時、「振り飛車」をたまに指していた。独自の勝負術を駆使して戦った小池の振り飛車を見て、「随分と変わった将棋を指す人」だと思ったのは無理もない。

 小池は1980年の全日本アマ名人戦に東京都下代表で出場。予選リーグを経て決勝トーナメントに進出し、以前に真剣で死闘した前アマ名人の加賀敬冶、元アマ名人で「大阪将軍」の異名がある沖元二らを連破し、アマ名人になった。いくら勝っても金にならないと言っていた小池は、「長年の夢でした」と素直に喜んだ。

 小池は1981年のアマ名人戦でも、元アマ名人の小林純夫らを連破し、連続優勝を見事に果たした。

中原名人、A級棋士と対戦した際の記憶

 アマ名人戦の優勝者は、時のプロ名人と角落ちの手合いで記念対局をするのが恒例。小池は1980年に中原誠名人と対戦し、激闘の末に惜敗した。1981年も中原名人と対戦し、その観戦記を私こと田丸昇七段が担当した。

 小池は前夜に深酒したのか、さえない様子で素足だった。関係者が用意しておいた靴下を渡した。対局が始まると表情は引き締まり、盤面に集中した。

 小池の将棋は、駒落ち戦の上手(駒を落とす方)のように、玉の動きが自由自在だった。本局でも中段まで行き、さらに進んだ。 

 1図の局面(下側の先手は小池、上側の後手は中原)は、小池が▲7五桂の王手を打ったのが妙手。実戦は△同歩と取らせて▲7四銀(△同玉は▲7三金で詰み)△5二玉▲4二金打と進み、後に▲7五玉と逃げ込む順が生じて小池が勝った。

 アマチュア将棋連盟の機関誌『将棋ジャーナル』は、A級棋士の森けい二八段と小池元アマ名人の指し込み3番勝負を企画し、1982年6月に東京の将棋会館で行われた。持ち時間は各1時間、対局間の休憩は1時間という取り決めだった。

【次ページ】 小池応援団が喜び合った「事件」とは

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