甲子園の風BACK NUMBER
「なんで気づいたんですか」巨人スカウトを驚愕させた“坂本勇人の情報”、後悔する菊池雄星への発言…NHK甲子園・人気解説者が語る“忘れられない試合”
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/15 17:01
NHK甲子園・人気解説者が語る「忘れられない試合」とは(写真は2009年花巻東)
「三塁まで全力疾走して、タッチアウトになった。2アウトランナーなしなので、私は『菊池投手を休ませるために、次のバッターはできるだけ粘りたいですね』と言ったんですよ。もしかしたら、前年の鳴門工対本荘戦が頭によぎったのかもしれません。ところが、パッとベンチを見たら、菊池投手は休むどころかベンチの最前列で一番大きい声を出しているんですよ。『せこいこと言ったなぁ』と自分を責めましたね」
間一髪アウトになった全力プレーを称えるように、花巻東のベンチは満面の笑みと大きな拍手で菊池を迎えた。続く9番の佐藤隆二郎が、三塁へのボテボテの当たりで一塁にヘッドスライディングして出塁する。そして、1番の柏葉康貴が勝ち越し2ランを放った。
「花巻東はどんな時でも全力プレーを忘れない。普通の監督なら『ピッチャーを休ませたいから粘れ』と指示しますよ。でも、佐々木洋監督は違うんですね。そんなことは考えずに、甘い球が来たら打てと。相手バッテリーが『振ってこない』とわかったら、簡単にストライクを取ってきますよね。そしたら、不利になってしまう。日頃から、休ませなくてもいいような練習をしているのでしょう。花巻東は、常に最善策を取るための全力プレーを徹底している。それが、大谷翔平選手(エンゼルス)の二刀流につながっている。周りが不可能だと言っても、『全力で取り組めば何でもできる』と考える」
ADVERTISEMENT
チームの特徴は一つひとつのプレーに現れる。それは一過性のものではなく、先輩から後輩へ受け継がれ、やがて伝統と呼ばれる。花巻東から二刀流の大谷翔平が誕生したのは偶然ではない。新たな伝説が今日も高校野球から生まれている――。
【プロフィール】
杉本真吾(すぎもと・しんご) 1965年5月5日生まれ、鳥取県出身。米子東で1983年夏に甲子園出場。東京の駿台予備校で1浪後、慶應大学文学部に入学。野球部では4年時に新人戦の監督を務め、優勝。法学部に転部したのち、野球部の助監督就任を要請される。その後、山陰合同銀行に入社。東京支店、米子支店で計6年間働き、1997年から米子東の監督を2年間務める。現在、鳥取で『皆生温泉 芙蓉別館』などグループ5社を持つ『皆生タクシー』の社長。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。