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あの5打席連続敬遠から30年…星稜・松井秀喜から逃げなかった3人の高校生が明かす“真っ向勝負”「監督が敬遠しろって言ってます」
posted2022/08/15 17:02

あの5打席連続敬遠が起こる前、星稜・松井秀喜に挑んだ3人のピッチャーが30年前の真っ向勝負を振り返った
text by

日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Koji Asakura
圧倒的な風格を持つ強打者を相手に、勝負した。全力の白球は弾き返されたが、選択に悔いはない。社会問題となった5連続敬遠が起きる直前の夏。ゴジラに挑んだ3人の投手が、怪物の痕跡を語る。
1992年8月16日の星稜vs明徳義塾戦から30年、これまで有料公開されていたNumber933号(2017年8月9日発売)『〈敬遠の夏に〉松井秀喜から逃げなかった男たち。』を特別に無料公開します(※肩書き、優勝回数などすべて掲載時のまま。一部、修正しています)。
1992年8月16日の星稜vs明徳義塾戦から30年、これまで有料公開されていたNumber933号(2017年8月9日発売)『〈敬遠の夏に〉松井秀喜から逃げなかった男たち。』を特別に無料公開します(※肩書き、優勝回数などすべて掲載時のまま。一部、修正しています)。
彫像のように立っていた。ヘルメットのつばの奥、鋭い視線は微動だにしない。
1992年7月28日、星稜高校3年生の松井秀喜に凝視されているのは、石川県立工業高校のエース、葛城武だ。
奇しくも25年後の同じ日付に現れた取材者に質問を重ねられ、遠い過去は閃光のように瞬時よみがえる。
はじめての対戦は2年秋だった。2-11の完敗は「むちゃくちゃに負けました」の感想として脳の奥に残っている。
浴びた痛打のどれが松井によるものなのかは判然としない。ただ悔しくて、スライダーの習得に励んだ記憶は鮮明だ。
57年ぶりの甲子園を予感させたエースの登場
葛城は右の本格派投手だった。「そんな速くないですよ」との本人の謙遜を、高校時代の同級生だという傍らの妻が補う。
「巷の噂では140km前半じゃないかって。県工の中では逸材だと言われてましたね」
戦前に1度だけ甲子園出場歴がある県工は、葛城の存在によって久々に強くなる。
3年春の県大会では決勝に勝ち進み、星稜を破って勝ち上がった金沢市立工業高校を下して優勝した。あるか、57年ぶりの甲子園。膨らむ学校の期待を一身に背負った。