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佐々木朗希がオールスターに“特別な思い”を抱く理由…10年前、仮設住宅からバスで2時間半かけて向かった岩手県営野球場の外野席 

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千葉ロッテマリーンズ取材班

千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/07/25 06:01

佐々木朗希がオールスターに“特別な思い”を抱く理由…10年前、仮設住宅からバスで2時間半かけて向かった岩手県営野球場の外野席<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

パ・リーグ先発投手部門のファン投票で見事、1位に選出された佐々木朗希

 ターニングポイントはどこだったのか。本人がよく話をするのはボールの変更だ。中学3年生の時に硬式球に近いボールとして開発されたKボールを使用した時に今までにない感覚を感じた。そして、高校で硬式球を握るとさらなるフィット感を覚えた。

 高1夏の県大会。盛岡北戦でリリーフとして初登板をすると147キロをマーク。この時、初めてメディアに取り上げられることになる。

「あるスポーツ新聞の東北版で大きく紹介していただきました」と、初めての報道のことはよく覚えている。

 ここから世間の注目度は一気に上がり、自分でも思いもしなかったほどフィーバーは過熱していく。高2の夏が終わる頃には、佐々木の名は次なる注目選手として全国に広まり、ジャパンの候補にも名前が挙がった。高3夏のフィーバーについてはあえて語るまでもない。時には自身が投げていない試合でも試合後にコメントを要求されることもあるほど、いつしか渦の中心にいた。

津波に流された、新品のグローブ

 小学3年生の時、岩手・陸前高田市で被災した。地震直後に小学校から高台へ避難。自宅は大津波で全壊。父の功太さんと同居していた祖父母を亡くし、その後は大船渡市に移り、仮設住宅で過ごした。

 子ども心ながらに忘れられない思い出がある。震災直前、両親に新しいグラブを買ってもらった。お気に入りのニューグラブだった。だから型をしっかりと作るまでは使用しないと決めた。入念に揉みほぐし、何度も何度もボールでポンポンと叩き、数日してようやく納得の柔らかさになった。自宅に戻ってからこの新品のグラブでキャッチボールをすることを楽しみに学校に向かった。新しいグラブのキャッチボールデビューの瞬間を想像するだけでワクワクした。

 しかし――2011年3月11日、当たり前のように訪れるはずだった放課後の楽しい時間は来なかった。その日、自宅は津波で全壊し様々な大切なものと一緒にグラブも消えていった。

「今あることが当たり前だと思わないで欲しい」

 佐々木は震災について話をするとき、必ずこのメッセージを発信している。

 大切な家族や日常が一瞬で消えてしまう経験をした。だからこそ今ある毎日を大切にし、家族や支えてくれる周囲への感謝の気持ちを決して忘れない。日本プロ野球界屈指の注目選手となった今、その想いを世の中に伝えることは大事な責務の1つだと考えている。

 そこには小学校3年生の自身が味わった悲しい経験の数々が原点にある。

【次ページ】 新調した特注の白いスパイク

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