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佐々木朗希がオールスターに“特別な思い”を抱く理由…10年前、仮設住宅からバスで2時間半かけて向かった岩手県営野球場の外野席 

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千葉ロッテマリーンズ取材班

千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/07/25 06:01

佐々木朗希がオールスターに“特別な思い”を抱く理由…10年前、仮設住宅からバスで2時間半かけて向かった岩手県営野球場の外野席<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

パ・リーグ先発投手部門のファン投票で見事、1位に選出された佐々木朗希

 141キロ――令和の怪物と呼ばれ、日本中の注目を集めることになるこの若者が最初に確認をしたスピードガンの球速だ。中学3年生の時、岩手県八幡平市にある球場のビジョンに映された。

「気持ちよかったですよ。自分では135キロぐらいは出ているかなあと思っていたら、もっと出ていた」

 初めて目にした自身のスピードと、その時に脳裏によぎった想いをハッキリと覚えていた。

 地元では速い球を投げる選手として多少は名の知れた存在だったが、決して注目を浴びるほどではなかった。小学校の時には「ショボすぎてピッチャーは嫌だった」。身体が大きいこともあり、一塁を守ることも多かった。

「ボク以外のピッチャーの方が速い球を投げていた。なによりもみんなボクよりコントロールが良かった」

 東日本大震災で「グラウンドを失った子どもたちに夢を」というコンセプトにスタートした「リアスリーグ」の少年野球大会の第1回がZOZOマリンスタジアム(当時、QVCマリンフィールド)で行われ、千葉の少年野球チームとの親善試合でマウンドに上がったのは有名な話だ。小学校6年生の時の話だが、マウンドは思い出は決して良いものではない。

「打たれた記憶しかない。それを、よく覚えています」

 風が強く制球が定まらなかった。打たれた。そして途中降板して一塁や外野を守った。試合において特に目立った存在ではなかった。そんな普通の少年だった。

「正直、あの頃はプロ野球選手になるなんてまったく思っていませんでした。練習が厳しそうだなあ。自分には無理だなあ。そんな印象でした」

苦い思い出が残るマリンで完全試合

 打たれた思い出の残るZOZOマリンスタジアムで今年、4月10日に完全試合をやってのけた。28年ぶり16人目。史上最年少20歳5か月での達成だった。あの時、あの日、制球に苦しんで自分に自信を持てなかった少年が注目を一身に浴び、マウンドで両手を広げ、スタンドのファンから万雷の喝采を浴びていた。そして、その4月は月間MVP賞も受賞した。

 会見でメディアから「過去にどのような賞を受賞したのか?」と問われたときも「記憶にないです」と答えた。振り返っても、そのような華やかな賞とは無縁だった。

「兄や弟はよくもらっていたような記憶はあるけど、自分はまるでない。スポーツ選手とかで、よく家にトロフィーとか賞状が沢山、飾られているような光景とかを目にするけど、自分は全くないと思う」と笑った。

【次ページ】 初めてメディアに取り上げられた日

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