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フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
羽生、紀平も治療を受けたカナダの日本人指圧師が“フィギュアスケートの怪我問題”に警鐘を鳴らす理由「人体を理解せず、しごきが美化されている」
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byAkiko Tamura/Getty Images
posted2022/05/24 11:02
日本人トップスケーターたちをトロントで支える指圧師の青嶋正さん
このように青嶋氏は施術しながら問題を見つけると、それに直結している関節や腱などの役割と動きについて説明をしてくれる。
選手たちは、「突然ジャンプが不調になった」とよく言うが、青嶋氏に言わせると理由もなく不調になることはない。必ず身体のどこかに原因がある。
「それまで跳べていたジャンプが、急に跳べなくなるというのはおかしいと思いませんか? 不調とは何なのか。スピードが出ないのか、高く跳べなくなったのか、うまく回れなくなったのか、どういう不調なのか。身体の動きを見れば、どこを治療して緩めれば良いのかわかるんです」
エンジニアだった青嶋氏が指圧師になった理由
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もともと青嶋氏は、日本で電気エンジニアの仕事をしていた。彼の患者の体調の分析、人体図の構造などの的確な説明の仕方は、なるほどエンジニア系の人だなと納得する。
ある日、ラリーでの自動車事故をきっかけにして体調を崩した。だがそれはレントゲンやMRIなどでわかるような怪我ではなかったのだという。ふとした瞬間に膝の力が抜けてしまったりするのだが、病院に行くと異常なしと言われる。その不調が、指圧の施術を受けて良くなった。
「何で医者が治せないのに、指圧のおじさんみたいな人が治せたのだろう」という思いが高じて、思い切って転職をして指圧師の修業をはじめた。
「当時はバブル期で景気も良かったので、気軽に転職できたんです」
上下関係がうるさい日本の社会は自分に向いていないと思い、海外に出ようと決めていた。そこでトロントに分院があった診療所を選んで就職したのは、30歳前後のときだった。
口コミで村主章枝、織田信成らも続々と殺到
トロントに移住して働きはじめた診療所に、最初に来た日本人のスケーターは、カナダでトレーニングをしていた1995年全日本チャンピオン、その後ペアに転向して長野五輪に出場した天野真だった。そこから口コミで、村主章枝、織田信成など不調を抱えたスケーターたちが、駆け込み寺のように次々と彼の元に集まってくるようになった。
「まずコーチたちが、選手の身体のコンディションをきちんと把握していないことに驚いたんです。教える側に、どれほどのリスクがあるかという意識が足りない。身体に過酷なことを課すのなら、それができる身体をまず作ってからでないと怪我につながる」
このように物をはっきり言う青嶋氏は、当然コーチや指導者とぶつかることもある。「トレーナーならつけている。対応はしている」と言われることもある。
「でも実際にそういう人たちがきちんと対応できてるのなら、世界のトップバレリーナたちがうちみたいな町の指圧屋に来ないと思うんです……」
ぼそりとそう言う青嶋氏のところには、ナショナル・バレエ・オブ・カナダから専属としての仕事依頼も来たが、他の患者を抱えていることもあって断ったという。