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水島新司先生って実は“将棋マンガ”も描いていた? 草野球で対戦、『あぶさん』にも登場した棋士が知るマル秘エピソード 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2022/03/03 11:00

水島新司先生って実は“将棋マンガ”も描いていた? 草野球で対戦、『あぶさん』にも登場した棋士が知るマル秘エピソード<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

Number45号に登場した水島新司先生と、611号のイラスト表紙。実は将棋も好きだった?

 将棋を覚えたのは小学3年のときで、同級生から習った。その友人の母親は、『白痴』『堕落論』などの作品で知られ、将棋の観戦記や評論を書いたこともある、無頼派作家と呼ばれた坂口安吾の妹だという。

水島さんと棋士たちは草野球で定期的に対戦

 水島さんは2001年から『父ちゃんの王将』という将棋漫画を、「月刊イブニング」で1年ほど連載した。編集部から野球以外の題材を依頼されたとき、将棋しかないと思ったという。

 小学生名人戦で優勝した11歳の「中田歩」が、プロ名人との平手(ハンディなし)の記念対局で勝つという話から始まり、歩の父親は九段の棋士で名人のライバルだったが、事情があって歩は知らない……、という展開になる。

 水島さんは、漫画を描いていて気持ちが乗れるかどうかは、主人公のキャラクター次第とのことで、「中田歩」はとても気に入っていると語っていた。

 水島さんが率いた野球チーム「ボッツ」は、棋士たちの野球チーム「キングス」とは、1985年の頃から定期的に対戦していた。

 そうした縁で『父ちゃんの王将』には、「中田歩(中田功八段)」、「大平名人(大平武洋六段)」、「真田九段(真田圭一八段)」、「有野七段(有野芳人七段)」など、登場人物は将棋チームの棋士名で出てくる。

 筆者こと田丸昇九段も、以前は野球が好きで「キングス」のメンバーだった。チーム名の由来は、将棋の王将を王様に例えて英訳した。

 写真は、1973年に行われた棋士チームの試合での筆者(当時四段・23歳)の打者姿。飛び入りで参加したので、ジーパンでプレーした。この広いグラウンドは、草野球の聖地として知られた「明治神宮外苑軟式野球場」。東京・千駄ヶ谷の将棋会館から近いのでよく利用した。

 筆者は1977年に「キングス」に加入すると、野球の楽しさにたちまち引かれた。年間で50試合もした時期があり、「将棋指し」ではなくて「野球指し」と呼ばれた。

棋士チーム「キングス」は野球未経験者が多かったが

 写真は、1979年に「後楽園球場」で初めて行われた棋士チームの試合(筆者は左から2人目)。カクテル光線が当てられた人工芝は美しく、外野の守備で好プレーをできた。

 前記の神宮外苑野球場では、「茜リーグ」と呼ばれた試合が定期的に行われていた。水島さんのチーム「ボッツ」、タレントのビートたけしさんが率いたチーム「たけし軍団」、役者やミュージシャン、飲食店のチームなど、平日にできるチームが集まった。1985年の頃からは、わが「キングス」も参加した。

【次ページ】 酒豪の強打者「景浦安武」と夢の”共演”

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