酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
ドラフト制前の“獲得競争とカネ”「鉄腕・稲尾和久」の意外と知らない伝説 1年目キャンプ「投手失格」で打撃投手になったが…
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/02/23 11:00
西鉄時代の稲尾和久。「神様、仏様、稲尾様」になる前のキャリアは意外と知られていない
オープン戦から投げ始めた稲尾はチャンスを次々とものにし、この年の公式戦は21勝6敗防御率1.06で最優秀防御率のタイトルを獲得。新人王も獲得した。
なお畑隆幸は7勝4敗、西原恭治は0勝2敗だった。
甲子園で活躍した投手の成績は当時も……
稲尾和久が活躍した1950~60年代は、大投手の時代であり、シーズン30勝するような大エースが次々と登場した。しかし276勝した稲尾をはじめ、金田正一(400勝)、米田哲也(350勝)、小山正明(320勝)、梶本隆夫(254勝)、杉浦忠(187勝)ら同時代のレジェンドは甲子園には出ていない。また無名校の出身者も多い。
一方で同時代に甲子園で活躍した畑隆幸は通算56勝、前岡勤也(新宮高)は1勝、少し後の板東英二(徳島商)は77勝に終わった。この当時から甲子園は高校球児には過酷な舞台だったとも言える。
稲尾は高校からの投手であり、本格的な練習もしていなかった。それは持てる才能を温存したことになり、これがプロ入り1年目の春季キャンプで一挙に開花したのだろう。
ここから空前の大活躍が始まった。<第2回に続く>