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ドラフト制前の“獲得競争とカネ”「鉄腕・稲尾和久」の意外と知らない伝説 1年目キャンプ「投手失格」で打撃投手になったが… 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/02/23 11:00

ドラフト制前の“獲得競争とカネ”「鉄腕・稲尾和久」の意外と知らない伝説 1年目キャンプ「投手失格」で打撃投手になったが…<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

西鉄時代の稲尾和久。「神様、仏様、稲尾様」になる前のキャリアは意外と知られていない

 当時の南海には、石川正二という敏腕スカウトがいた。門司鉄道管理局の元監督で、九州地区を担当し「南海の九州探題」と言われた。石川の稲尾評を聞いて、この年冬には御大・鶴岡一人監督も稲尾の実家を訪れ、両親と顔合わせをしている。

 さらに南海ホークスは毎月、稲尾宅に5000円を送金するようになった。当時のサラリーマンの月給に等しい。稲尾家は「南海入団」に傾いたが、地元西鉄ライオンズが猛烈に巻き返し、最後は契約金50万円、月給3万5000円で西鉄入りが決まる。西鉄球団に稲尾を強く推薦したのは、高校の先輩で当時西鉄のエースだった河村久文だったという。

 後年、南海の鶴岡一人監督は「長嶋茂雄(立教大-巨人)と稲尾和久を取れなかったのは悔いが残った」と述懐している。

同期から「お前、契約金いくらだった?」

 しかし当時、稲尾の争奪戦は南海-西鉄のグラウンド外の暗闘、その序章に過ぎなかった。この年の高校生の目玉は同じ九州、小倉高校の畑隆幸だった。畑は1954年春から4季連続甲子園に出場した快速左腕。地元西鉄と南海は激しい争奪戦を演じた。

 ドラフト制のない時代だけに左腕をめぐって札束が舞い飛んだ。南海は契約金300万円を提示し一時は契約書も作成したが西鉄が猛烈に巻き返し、契約金800万円、月給15万円で契約した。南海側がコミッショナーに提訴するなど大もめにもめた。

 ちなみに畑隆幸は「ムツゴロウ」こと作家・畑正憲の2歳年下の従弟。野球の手ほどきをしたのは畑正憲だったという。

 この年、西鉄に入団した選手の中では甲子園で活躍した畑隆幸が最大の有望株で、岸和田高校時代に大型左腕として鳴らした西原恭治がそれに次ぐ存在。稲尾は大きく離れて3番目扱いだった。入団後、稲尾は畑に「お前、契約金いくらだった?」と聞いたことがあったが「800万円だった」と言われて、50万円だった稲尾は自分の契約金を言い出すことができなかったという。

 稲尾は獲得に動いた竹井潔スカウトによると「知人に呼ばれて稲尾を観に行ったが、投球もバックスイングが小さくて欠点が多い。打撃投手に使えれば、という気持ちでとった」とのことだった。

キャンプでいきなり「投手失格」、打撃投手に

 西鉄は入団前年の12月、福岡市大円寺のライオンズ寮に選手を招集し合宿を行った。

 合宿3日目に畑、西原、稲尾を横に並べて投球させた。当時40歳の重松通雄二軍監督は「3人を並べてみると稲尾が一番見劣りがした。スピードも遅く、コントロールも悪い。走らせてみると、いつも畑や西原からはるかに遅れて走った。ときどき私も一緒に走ったが、ひどいときには稲尾は私にも抜かれるくらいだった」と語っている。

【次ページ】 エース候補の同期が突然「痛い!」

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