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本番2カ月前に全プログラムを変更…荒川静香が明かす“トリノ金メダル秘話”「エリート街道を行ったわけではない私が…」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2022/02/17 11:02
16年前のトリノ五輪で日本フィギュア勢初の金メダリストとなった荒川静香
迎えた翌シーズン、'98年の長野以来の五輪代表となった荒川は大会を前に思い切った行動に出た。コーチをタチアナ・タラソワからニコライ・モロゾフに変更し、年が明けてからショートプログラム、フリーともにプログラムを変えたのである。
「オリンピックまで2カ月ない中ですから、誰かがやったら私もびっくりすると思います(笑)。ただ、ああすればよかったという思いを残さず、やった方がいいと思ったことはやりきって迎えたかった。代表に決まってから合宿がトリノでありました。初めて(五輪会場の)パラベラのリンクで滑ったとき、それまで使っていた曲が自分の中でしっくりこなかった。フリーを滑るならこの曲だなとぱっと思い浮かんだのが、『トゥーランドット』でした。ストーリーもよく知っていて以前使ったことがある曲。あれならイメージが湧くと思いました」
フリーで使用していた曲をショートにすることも決めた。
「大会直前ではありましたが、でも遂行できるか綿密に考えて見通しが立ったのでプログラムを変えることができました」
技術点対象外でも“イナバウアー”にこだわった理由
いざ試合では、結果に囚われないことを心がけた。
「選手生活を続けてきた中で、いちばん力を出せるのは順位的な目標を立てたときではないと分かっていました。メダルの目標を立ててしまうと、やるべきことよりそちらが気になってやるべきことを見失うという気持ちがありました。ですから、自分のできる演技をしようと意識しました」
ショートを終えて3位につける。
「このままいったらメダルをとれる順位につけられたと、少し気持ちに揺らぎはありました。でもそこで切り替えた。結果を残した人でも、どんな演技をしたのか覚えてもらえないことはあります。それよりも人の記憶に残るようなオリンピックにしたいと思いました」
新採点ルールのもと、さまざまな要素をこなすのに必死の中、「見せたい」と技術点の対象外のイナバウアーをフリーで予定していたのも、そんな思いからだった。
そして演技の瞬間を迎えた。